ごあいさつ

実行委員会委員長 塚田佐

■「質実剛健」「至誠一貫」「和衷協同」の校是を継承して1世紀、長野高等学校創立100周年を迎えることができましたことを、皆様とともに心から慶びたいと思います。
■明治、大正、昭和、平成と時代の変遷を経る中で、幾多の人材を育て、在籍同窓生は3万余名を数え、各界各層で素晴らしい活躍をしております。
■母校長野高校が歩んでまいりましたこの1世紀は、まさに激動の時代と呼ぶに相応しい世紀であり、長野高校もその時々の社会の変化を反映して大きく変わってまいりました。しかしながら、先輩方が残された剛健自治の伝統は変わることなく受け継がれ、今日に至っております。
■河野通勢画伯が描かれた「佐久間象山像」の傍らには、地球儀が置かれています。江戸末期、既に象山先生は世界を見つめておりました。在校生、同窓生の皆様には、来るべき21世紀を担い、世界を舞台にご活躍されることを期待しております。
■創立100周年記念事業として、多くの記念行事、イベントを実施してまいりましたが、特に事業の中心をなすものは、母校の教育環境の整備でありました。この教育環境整備事業につきましては、会員の皆様の積極的なご理解ご協力をいただき、多大な成果を上げることができましたことに、心から御礼を申し上げます。
■創立100周年記念事業にあたりご尽力を賜りました多くの皆様に、心から感謝を申し上げ、母校長野高校が21世紀に向け、ますます大きくはばたかれることを祈念いたします。

長野高等学校前学校長 本山綱規

■年々歳々人を迎え、歳々年々人を送り出す営みを続け、20世紀という激動の時代と共に在り続け、ここに創立100周年記念式典が執り行われること、感慨と慶びを深くします。
■学校創立当時の明治32年は、日清戦争と日露戦争の間の時期であり、国民の意識が高揚期を迎えていた時であったと考えます。長野中学校の精神の象徴として、校章の「金鵄」を神話の伝承に依拠して定め、「大和心」を校歌としたのも、そうした時代性を思わせると共に、在校生を感化するところ誠に大であったと考えます。
■学校精神の象徴としての「神聖なるピアノ」、河野通勢の「佐久間象山像」の存在も忘れることができません。長野中学校創立以来、県内はもとより国内外にも有為な人材を数多く送り出してきた事実は、精神を具象化した具体的な物に直接接することができるという、恵まれた学校環境で在り続けてきたことによるものと考えます。ご支援くださる多くの方々の賜物と感謝いたします。
■21世紀における長野高校の更なる雄飛を祈念しつつ、皆様方の益々のご清祥を願い、長野高校に対する今にも増したご支援ご鞭撻をお願いいたします。
■学校長としての僥倖を思いつつ、お祝いの言葉といたします。

長野高等学校平成11年度PTA会長 中村隆次

■100周年という非常に大きな節目を在校生として味わえることは、子供たちにとって大きな幸運であり、親としても極めて感慨深い経験です。
■加えて、100周年記念事業として、同窓生を中心とする多額のご篤志により、コンピューターの校内LANシステムを、他に先駆けて導入していただきました。「情報通信」が全ての前提となる新世紀に漕ぎ出していく子供たちにとって、強力な支えとなるものであります。ありがとうございました。
■世紀の変わり目と符節を合わせたかの如くに、時代が巨大な転換点を通過している中、自分たちの膝下をはなれた後、いかに歩むべきかを的確に子供たちに示すことの出来ない、親としてのもどかしさを感じつつ、一方で、母校が培って来た100年の重み受け継いでいるからには、必ずや自ら途を切り拓いて行くであろうと、確信もいたします。
■願わくは、長野高校にとっても、来る100年が過ぐる100年を更に上回る、すばらしい世紀であらんことを。


長野高等学校前生徒会長 塚尾早希

■長野高校の100周年という節目の年に、たまたま学校に居合わせたことを、望外の幸せと感じています。
■そのおかげで、金鵄祭では、講演会にケント・デリカット氏を招くことができました。また、アルバータ峯のピッケル贈呈式、同窓生・在校生で共に校歌を歌う会など、学校創立100周年にふさわしい金鵄祭を開祭することができました。サッカー班や野球班の招待試合、在校生の作品も含めた美術展、武田徹氏と猪瀬直樹、樋口覚、山口義憲氏らの諸先輩による対談など、100周年ならではの貴重な経験ができたこともありがたく思っております。
■さらに、校内には100周年を記念して、コンピューターのLANシステムが完備し、進学資料の検索などに役立っています。体育館には同窓生からの寄付でトレーニング機器が設置され、大いに利用させていただいております。
■長野高校は100年間に3万有余の先輩を社会に送り出し、その多くの方々が社会の第一線で活躍しておられます。私たちが現在、長野高校生であることを誇りに思えるのも、ひとえにこの方々のご活躍のお陰です。その誇りを汚すことのないよう、私たちも「日々新たなる」進歩を心掛けたいと思っています。
記念式典で挨拶する塚尾早希前生徒会長

創立100周年記念事業

記念CD「山また山」発売

『会員名簿』発行

定価2300円(税、送料込み)
3月2日(火)
定価4500円 (税、送料込み)
4月30日(金)

開校記念

記念モニュメント除幕式

5月1日(土) 午後12時40分より
5月10日(月)

武田徹のつれづれトーク@

記念美術展=本校ゆかりの美術家

ゲスト 猪瀬直樹氏
本校小体育館 入場無料
5月13日(木) 午前11時30分〜午後1時
県民文化会館展示ホール 入場無料
5月26日(水)〜6月2日(水)

同窓会総会

武田徹のつれづれトークA

ホテル国際21
5月29日(土) 午後2時より
ゲスト 山口義憲氏
本校小体育館 入場無料
6月3日(木) 午前11時30分〜午後1時

野球班招待試合=箕島高校

武田徹のつれづれトークB

淺川総合グラウンド
6月13日(日)
ゲスト 樋口覚氏
本校小体育館 入場無料
6月17日(木) 午前11時30分〜午後1時

卒業会期別団体対抗ゴルフコンペ

金鵄祭・記念講演会

信濃ゴルフ倶楽部
表彰式・祝賀会 ホテル犀北館
6月20日(日)
講師 ケント・デリカット氏
7月8日(木)〜7月11日(日)

芳賀考郎の講演

在校生と同窓生でともに校歌を歌おう

「アルバータ峯ピッケル物語」
本校小体育館
7月10日(土)
本校小体育館
7月11日(日) 午後1時より

サッカー班招待試合=清水東高校

OB野球招待試合=箕島高校OB

本校グランド
7月11日(日)
市民球場千曲川河畔で校歌を歌おう
屋島橋下河川敷グランド
8月8日(日)

白馬登山=山頂で校歌を歌おう

中国雲南省の旅

8月28日(土)〜8月29日(日) エキスポ99世界園芸博覧会見学
9月16日(木)〜9月20日(月)

イ・ムジチ合奏団演奏会

ピカソ展

県民文化会館 入場料6000円(前売り)
10月2日(土)
信濃美術館 入場料800円(前売り)
10月8日(金)〜11月7日(日)

記念書道展

創立100周年記念式典

越前画廊 入場無料
10月29日(金)〜11月1日(月)
県民文化会館 入場無料
10月30日(土)

創立100周年記念祝賀会

『長野高校百年史』刊行

ホテル国際21 参加費5000円
10月30日(土)
定価6000円(税、送料込み)

武田徹のつれづれトークC

ゲスト 田中秀征氏
本校小体育館 入場無料
11月25日(木) 午前11時30分〜午後1時

記念事業に寄せて

マウントアルバータのピッケル

■創立100周年記念行事として7月10日山岳OB会では1965年カナダのマウントアルバータより持ち帰ったピッケルの石突き(ピッケルの下部)の贈呈式、ピッケルに関する講演会、戸隠記念登山などを行いました。この行事には、カナダ山岳会と日本山岳会それぞれの会長副会長およびジャスパー山岳博物館の館長等を招待して、校内の体育館で行いました。
■このピッケルは1925年カナダのマウントアルバータへ槇有恒氏、三田幸夫氏等日本山岳会会員による初の海外遠征の際、秩父宮様と共通の山仲間で強力な後援者であった細川護立侯爵(細川護煕元総理の祖父)から頂上へ立てて来るよう贈られた物です。
■長年の間、何人かの挑戦があったようですが登頂できず、23年後の1948年アメリカの二人が第二登を果たしました。二人は途中の危険箇所に、帰りに使うため自分達のピッケル一本にザイルを結び残して登って行きました。そして帰りに頂上に立ててあったピッケルを、下りに使うために持ち帰りました。その際氷雪に埋まっていて先が折れて残ってしまいました。
■このピッケルは長い間アメリカの博物館に展示されて居ましたが、カナダの要望で数年前にカナダへ譲られました。この折れた先を40年後に長野OB隊が第5登に成功し、頂上のケルンの脇で見つけ持ち帰り、OB会事務所清水栄一元会長宅の書庫に保管してありました。
■講演は日本山岳会員で学習院山岳OBの芳賀孝郎氏により行われ、塚田佐同窓会長の挨拶で始まりました。芳賀氏は1966年ニューヨークで初めてこのピッケルの本体を見た時、石突き部分が無いこと知り、それ以後これを探し求めていました。そして1996年学習院隊としてアルバータへ遠征し、登頂隊員に雪の中から探して来る様頼みましたが見つかりませんでした。これが実は1965年我々の隊が、既に持ち帰っていたわけです。
■講演では、日本で一番古くて有名な日本山岳会の創立には、長野中学の教師志賀重昂氏、志村烏嶺氏やウエストン氏が大きく関わっていて、この人達が創らせたといっても過言ではないとの話もありました。また志村氏が明治の末に白馬で撮影した写真が、信濃毎日やイギリスの雑誌等に世界で初めて掲載された事等も話されました。
■その他日本山岳会の創立当時会員で長野中学教師だった八木貞助氏や、長中21回生で県内の高校教師であった小池文雄氏が日本山岳会に所属し、積雪期の前衛的登山で活躍した事など、伝統ある長野高校山岳の先輩の培った伝統が伝わっているとお褒めの言葉も頂きました。
■講演の後、本山綱規校長より歓迎の挨拶があり、カナダから持って来たピッケルと、長野OB会が保管してあった石突き部分を壇上で合体して、元は一体であったことを披露しました。
■石突きは、OB会から日本山岳会へ贈呈し、日本山岳会よりカナダ山岳会、山岳博物館で陳列展示することになりました。この後ゆかた姿の現役女生徒より関係者に花束が送られ、塚尾生徒会長から英語のメッセージも送られました。
■翌日の戸隠山では、カナダの人達に日本の良さを味わってもらえたことと思います。
(OB山岳会 原謙一 高8回)

記念ゴルフ大会

■同窓会主催での記念ゴルフ大会が平成11年6月20日に、信濃ゴルフ倶楽部で同窓生177名参加のもと、新ペリア方式で開催されました。競技成績は下記の通りです。
■熟年パワーの目立つ、楽しい大会でした。

個人優勝 中沢幹雄(高19回)
個人準優勝 加藤久雄(高13回)
団体優勝 高19回(中沢幹雄 勝山修一 西村博行 黒沢成吉)
団体準優勝 中43回(山田秀康 島田信夫 穂苅聡 甘利敏郎)
ベスト・グロス 林精彦 (高4回) out37 in39 計76
竹重王仁(高19回)out38 in38 計76


参加者・組合わせ表
長中43回 佐藤元良 山田秀康 島田信夫 甘利敏良
穂苅聡 桑原英明 渡辺幸男
長中48 高1回 藤縄周三 倉石順司 横田良晴 中谷治
近山与士郎 渋沢益朗 竹内俶 長谷部好一 
高2回 宮下和晴 岡洲清人 小林栄治 山上昭彦
篠原寿人 土屋良平 川上眞足 宮下磐
高3回 太田隆  岡田圭司 中沢信 藤沢博
倉石安男 滝口博道 滝澤康二 濱名荘晃
小林信三郎 福山惇 山下郁夫 八木道男
今林一 北村弘 斉藤実 福田治雄
小林一太 竹内淳雄 中山純雄 市辺恒雄
小林政志 宮下寿夫 山崎雄司
高4回 小野塚健夫 林精彦 内田将夫 岡田健
内山富治 真喜志昇 新井洋章 内田尊明
佐藤伊助 荒井一章 鈴木袈裟明 高橋満 
山上文雄 大日方邑次 宮下隆 塚田芳雄
高5回 奥村芳博 桜井安真瑳 内堀迫夫 熊井貞夫
柄澤徳治 中田徹 古平寛三 原哲夫
町田啓一 飯田建樹 河原田実 夏目大介
高6回 五十嵐煕訓 高橋啓元 塩原静雄 長田悦男
小林敬 小林永和 丸山義範
高7回 相島毅一郎 坂野毅 小林貞 釼持幸次
大久保鉱一 小林一樹 水谷潔 依田貴善
長沢忠信 宮尾五郎 山下則雄 広岡男也
横田幸雄 宮沢祐司 北原敬夫 徳永政男
高8回 伊藤實 高木勇 西沢敏 小野宏
高9回 市川武 塚田知之 才口千晴 清水賢
松木正典 細田欽也 宮尾勝彦 桑原郁男
高10回 宇都宮武 小林一雄 唐木忠 重柳良治
高13回 青木輝政 朝井紀明 岡宮昭夫 山口文雄
川崎元興 倉沢祇 小山和夫 宮沢秀樹
長谷川孝 宮川礼二 加藤久雄 小林勇生
高14回 酒井真英 岡義勝 熊井襄 鹿熊厚
松野是邦 河原田宏一 酒井禄郎 小松正雄
松岡寛 和田真治郎 杉山昭雄
高15回 米山文夫 塚田冨美雄 北沢孝仁 丸山彰彦
山崎博永 松橋孝夫 神渤好夫 依田良春
松橋孝夫 小出政広 土屋将行
轟宏 伊藤哲男 柳沢勲
高19回 中山修 戸谷光家 中村義政
黒沢成吉 西沢義章 大久保昭 林隆夫
岡沢和秀 山田正行 吉田弘之 中沢幹雄
田原敏明 竹重王仁 西枡博行 勝山修一
高21回 内田秀人 小林均 高橋むつき 野中正樹
加藤章 野村文孝 若林秀明 林敏行
高30回 竹内雅昭 宮尾史 大久保公雄 清水雅彦

ゴルフコンペに思う

■平成11年6月20日、信濃ゴルフ倶楽部において長高創立100周年記念行事の一つとして、ゴルフコンペが開催された。関係の方々の御努力に対し深く感謝したいと思う。
■大先輩は長中43回期、後輩は長高30回期、180名程の参加者であった。回期別の戦いとはいえ、その中に何かしら暖かいものを感じたのは、私だけではないと思う。
■私達19回期は、新ペリア団体の部、グロス団体の部ともに優勝、さらに個人の部では新ペリアで中沢幹雄君が優勝、個人の部では竹重王仁君が長高4回期の林先輩と同スコアの準優勝とほぼ完全優勝に近い成績を残した。
■わが19回期は19をイッキューと読み「一休会」を会長中山修君のもとに結成しており、毎年同期の中から講師を選んでの講演会やパーテイーを通じて交流を深めている。
■その行事の一つとして春と秋の年2回のゴルフコンペがある。すでに26回を数え、たくさんのドラマが生まれてきた。関東方面等遠方よりの参加者も多く皆の楽しみである。特に今回の新ぺリア団体の部優勝に貢献した黒沢成吉君は、何度も仙台から参加している。東京に転勤したがその努力に敬意を表したい。「一休会」全員の力で成し遂げた結果だと思う。
■長高に関わる全ての人々の御健康と御活躍を祈ります。(大久保昭高19回)

自馬岳山頂で校歌を歌おう

■長野高校創立100周年記念事業「白馬岳で校歌を歌おう」は、数ある記念事業の中で山岳の大自然を舞台として行われる唯一の事業であり、参加者が最も充実感を味わうであろうと云われていましたが、11歳〜74歳の同窓生及びその家族、110名全員が目的を達成し、リックサックに入り切らない思い出を背負って無事下山しました。
■数年前から綿密に準備し、当日は山岳班OB会の精鋭30名のサポートにより、今回の「無事」はほんとうに何事もありませんでした。
■この山行に参加したことにより、「我が心のふるさと長野高校をあらためて誇りに思う」とのメッセージがいくつか寄せられております。しかし、元金鵄健児も下山後の数日間は階段の登り降りに苦労した方が多かったようです。1日目の大雪渓の登りでは豪雨に叩かれ、小雪渓から上では雨に加えて強風に煽られました。
■2日目の午前8時には劇的にガス(霧)が吹き飛び、覗き見えた蒼空に思わず歓声を上げ、北アルプス白馬岳稜線の雄大な景観の中で、母校にも届けと歌った校歌と工一ルは心に響き、不覚にも目に涙する感動の時を過ごしました。校歌は音程と速度と音量が見事に揃った大合唱でした。
■ 白馬岳から北へゆるやかな登り下りが続く下山路は高山植物の宝庫、天上の楽園と呼称されるコースであり花の盛りは過ぎていましたが、その名残を楽しみました。今回の登山で初めて出会った同窓の先輩、後輩も初対面とは思えないのは、創立以来の確かな伝統のもとに過ごした高校時代があったからこそ。世代を越えて語らいながら歩くうちに幾つものグループの分かれ、白馬岳2932m、小蓮華山、白馬大池、乗鞍岳、天狗原、栂池の要所では心行くまで校歌と応援歌を歌い、蒼空に浮かぶかなたの峯のグループがエールを送るとこちらの峯からも声を合わせてエールを返す感動の場面が繰り返された。
■この登山で実施した「し尿持ち帰り」取材のため、信濃毎日新聞社、読売新聞社、長野放送NBSテレビ4名、諏訪LCVテレビ5名が同行して賑かな登山となった。
■10kgの重いテレビカメラを持って豪雨の中で取材したテレビ2社の熱意には敬服します。白馬館での夜は雨が沁み込んで不調になったLCVのテレビカメラの復旧に冷や汗が流れ、その間に山岳班OB若手サポート隊16名の テント3張りのうち1張りが強風により破壊され、彼等の睡眠時間は2時間、強風は2日目の出発まで続いた。
■最期に、今回の心に残る成功は長高創立から100年に渡って築かれた伝統の賜物と参加者一同は深く感謝しております。次のl10周年、120周年、…周年と続く長野高校の歴史の中に、今回の白馬登山の状況を、新たな歴史の一頁として書き加えておきます。

白馬登山の起こりは

■今回の白馬岳登山の発端は長野高校同窓会「会員名簿・平成2年10月発行」に大変な努力をされた編集委員が書き残した「あとがき」から始まりました。以下「あとがき」より抜粋。記録的な猛暑の中、お寄せ頂いた1万1千余枚の「調査カード」(これは積み上げると、3メートルほどの高さになります)に埋もれながら脳裏を去来するものは、会員名簿を発行する意義とは何か、まもなく誕生する新しい「会員名簿」が、母校創立100周年にどのように関わっていくのか、という事でした。中略
■1999年、……校歌にちなんで「白馬岳山頂で校歌を歌う会」と「千曲川流域の炬火リレー」などはいかがなものでしょうか。……
■甲武信岳の麓、碓井峠、志賀、野尻湖、奥裾花、山清路、大門峠などを出発した「松明」が東北信の市町村を回り、そこに住む多数の会員の手によってリレーされ、同時刻に母校正門に到着し、母校創立200周年まで燃え続ける「炬火台」に点火され、時を同じくして、白馬岳山頂から母校に向かって「山また山」の大合唱が始まる光景が、目に浮かんできます。この「会員名簿」が、その実現のために少しでもお役に立つならば、編集に携わった者としてこれに過ぎる喜びはありません。以上「あとがき」より抜粋
■この提言をもとに「3個所で同時に校歌を歌う」案が検討されました。
 そびゆる白馬の雪の峰……白馬岳
 うずまき流るる千曲川……千曲川
 ふみゆく大地の果てしなき……長野高校・金鵄ヶ台3個所で同時に実行するには時間的、人員的にも難しいので、修正案を
 7月金鵄祭……金鵄ヶ台・長野高校(生徒会・応援団)
 8月中旬……千曲川・屋島橋グランド(応援団OB「永流会」)
 8月下旬……白馬岳(山岳班OB会・応援団OB「永流会」)
この修正案決定にいたるまでにも、長期間と慎重な審議が繰り替えされました。(白馬岳登山係)

出版「白馬岳登山記」

白馬岳登山チーフ・リーダー 高36回山崎浩希著
■登山参加者のメッセージ集とは別に、山崎浩希氏が、記録としてまとめたものです。若干、同窓会事務局にございます。ご希望の方は事務局へご連絡下さい。参考迄に、氏の後記を抜粋して載せます。
後記
母校の校歌1番の歌詞にちなんで、白馬岳山頂で校歌を歌おう――私は、この企画の原点ともいうべき、平成2年10月版「会員名簿」の「あとがき」の中に示された提案を初めて目にした時、ただ漠然と一種ロマン的なイメージを抱くとともに、もしこの提案が具体化した暁には、是非、自分も参加してみたい……、と思ったものだが――あくまで単なる「参加者」として――それから9年。件の提案が、多少形は変えたにせよ、いよいよ具体化してみれば、本文中「プロローグ」にも述べた通り、参加者どころか、体よく「スタッフ」に引きずり込まれてしまった。――それも、こともあろうに登山隊の「チーフリーダー」などという大それた役職で。
■事そこに至り、私の念中からは、9年前に抱いたロマン的なイメージなど、微塵と消し飛び、それから数か月、私には、かつて経験したことのない心労の日々が続くことになったのだった――事務の多忙もさることながら、本校より輩出した数多の金鵄健児達の「目」を、常に背中に感じつつ。
■かくて迎えた本番。若干の紆余曲折はあったにせよ、周知の通り、大成功に終わったわけであるが、それは本文中にも述べてきた通り、私よりむしろ、山岳班や応援団の関係者を中心とした、多くの参加者の努力と協力の賜物である。この場を借りて、衷心から厚くお礼申し上げる次第である。
■さて、本文は、まず第一に先の記念登山の様子を可能な限り克明に後世に残すということを念頭において執筆した――本来なら同窓会機関誌『日新鐘』か、又は参加者の「メッセージ集」に収録するつもりで書き始めたものだが、それから間もなくして個人的に妻の出産はじめ多忙が重なり、一時執筆を中断せざるを得なかったことや(注:そのため「メッセージ集」も、現在、私の手を離れて編集中)、またいざ書き始めてみると、意外と筆が進み、当初の目算以上に長文となってしまったことなどにより、ようやく書き上げてみた時点では、上記のいずれにも収録不能となってしまったのではあるが……、しかし折角書いたものではあるので、「メッセージ集」とは別になるが、費用はあえて私個人負担により、お送りするものである。
■拙文ながら、これによってあの折の感激を、ささやかながら再度参加者各位と共に分かち合うことができたとしたなら幸いである。平成11年12月吉日 山崎浩希

白馬岳登山・参加者一覧

小林辰三(中47回) 園原幸三(高1回) 岡田圭司(〃3回) 岡田美由喜(岡田圭司家族) 武井信義(高3回) 田島守(〃3回)(山岳OB) 松本寿昭(〃4回) 鎌田智(〃5回) 小林敬二(〃5回) 清水正昭(〃5回) 米澤寛信(5回) 海沼安夫(〃6回) 荒井俊彦(〃8回) 伊豫田滋雄(〃8回)(JAC) 蔵之内秀行(〃8回) 小林茂保(〃8回) 鈴木道生(〃8回) 園原邦博(〃8回) 西島敏(〃8回) 原謙一(〃8回)(山岳OB) 増田哲将(〃8回) 金子茂夫(〃10回) 北村利次(〃10回) 北村玲子(北村利次家族) 広田茂幸(高10回) 渡辺一(〃10回)(山岳OB) 渡辺亜佐子(渡辺一家族) 渡辺大洋(〃) 西澤一誠(高11回) 小林栄(〃12回)(山岳OB) 桜沢政春(高12回) 丸山英文(〃12回) 丸山洋子(丸山英文家族) 宮崎聖智(高12回) 小出忠男(〃13回) 柴田武明(〃13回)(山岳OB) 柴田美佐子(柴田武明家族) 林孝昭(高13回) 林英子(林孝昭家族) 石川雅一(高14回)(山岳OB) 渋沢研一(〃15回)(〃) 小林泰(〃16回) 竹前紀樹(〃17回)(医師) 久米昇(〃19回) 劔芙美子(〃19回) 兼沢博夫(〃21回)(応援OB) 中部豪(〃21回) 青木哲郎(〃23回)(山岳OB)※2 飯田淳一(〃23回)(山岳顧問) 小林清文(〃23回)(〃) 中島誠至(〃23回)(山岳OB)※2 上原照章(〃24回) 宮崎清之(〃24回)(山岳OB) 五十嵐一雄(〃25回)(〃) 月原光昭(〃25回)(応援OB) 中島泰三(〃25回)(山岳OB) 南澤通(〃25回) 早川敦(〃26回)(山岳OB) 山岸信雄(〃26回) 中沢清(〃27回)(山岳OB) 中沢大地(中沢清家族) 水島英夫(高27回) 加藤二佐雄(〃29回)(応援OB)※4 真島秀樹(〃29回) 真島弥生(真島秀樹家族) 山崎弘道(高29回)(応援OB) 荒井健一(〃35回) 山崎浩希(〃36回)(山岳OB)※1 霜田清(〃37回)(応援OB)※5 小池広益(〃38回)(〃) 清水正剛(〃38回) 笠原智恵(〃39回)(山岳OB) 桑原邦央(〃40回)(山岳OB・サポート) 熊谷篤(〃41回)(〃) 木田晃博(〃42回) 伝田正徳(〃42回)(山岳OB・サポート) 畠山剛(〃42回) 山浦かおり(〃42回) 山口剛史(〃44回)(山岳OB・サポート) 赤羽裕幸(〃45回)(〃) 岩佐信吾(〃45回)(〃)※3 滝沢浩史(〃45回)(〃) 山本陽一(〃46回)(〃) 斉木寛(〃48回)(〃) 外山健(〃49回)(〃) 宮下雄一郎(〃49回)(〃) 西沢崇道(〃50回)(〃) 上田聖二(アルピコ観光サービス(株)添乗員) 中島秀一(〃)

※掲載順は次によった
 @基本的に卒業回期順 A同回期内アイウエオ順 B卒業生家族は当該卒業生名下にアイウエオ順 Cアルピコ観光サービス(株)添乗員別掲 D報道関係者を除く
※注*1チーフリーダー *2サブリーダー *3サポート隊長 *4応援団長 *5応援副団長

環境庁が初の補助金

■白馬岳登山にともなって実施された。“屎尿持ち帰り運動”は環境庁を動かし、全国で初めて長野県の山小屋トイレの建設に補助金(1億円)が支出されることになりました。 
■当初の目的が達せられ、喜びにたえません。今後山での屎尿処理が、一層改善されることを期待します。 (事務局)

「OB金鵄祭」

■母校の創立100周年にあたり、応援団OB会(永流会)へは多くの依頼が来ました。その中で最も大変だったのが、予算ゼロで「千曲で校歌を歌う会」を企画・実行せよという依頼でした。
■この企画は大きく4部門に分れ、1、組織作り 2、企画 3、資金徴達 4、人集めということでした。
■1については野球部が甲子園に行った際組織された永流会の影があったため、メンバーを再確認しつつ集会を重ね、仕事を割りふりました。しかし10年余りほとんど活動していなかった為、現在でも全容を握みきれていません。
■2〜4の部門は、永流会の集会に出席率の良いメンバーを中心に計画しました。
■頭を悩せたのは、真夏の千曲川に何人の人が校歌を歌うために集まってくれるのかという問題でした。これを解決するため、人集めの為のイベントを企画しました。幾多の提案の中、箕島高校とのOB野球大会と、ジャズフェスin千曲が最終案として残りました。しかしこれらのイベントを行う費用はありません。そこで100周年記念グッズを製作し、イベントの費用を捻出することにしたのです。
■この間、実に4ヶ月。季節は3月に入り、全ては秒読みの中で行われる緊張感の中で進みました。予算も当初より膨大にふくらみ、永流会、同窓会にも期待と不安の幕明けでした。
■5月からの各種記念事業が始まり、永流会は全てのイベントに参加してきました。そして運命の8月8日です。
■当日は雲一つない晴天。前日の「長野市びんずる祭り」の余韻を残す街に、真夏の太陽が顔を出しました。朝6時、千曲川の会場で打合せを行い、一路市営球場へ。会場の飾り付けから音響設備の確認等、約40人のボランティアの協力を得ても、時間はアッと言う間に過ぎ、開会式の時を迎えました。
■甲子園の入場式をイメージした開会式は、来年で姿を消す市営球場関係者にも強烈な印象を与えたようでした。尾藤・中村両監督には、アナウンサー席からベンチワークをしていただくという企画で、グラウンドと会場が一体化したようなゲーム展開でした。
■往年のスター選手の活躍に一喜一憂し、参加した方々の顔は、皆高校時代に逆もどりしていました。結果は9-6で我が長野高校の勝利で終りましたが、町田行彦氏(高4回)の言葉にもありました通り、1人の怪我人も出なかったことが最大の収穫でした。
■これと同時進行したジャズフェスin千曲は、好天と暑さに客足を阻まれ、せっかくの演奏も、永流会スタッフと、若干のお客様のみで楽しむ結果となってしまいました。出演いただいたOBセッションバンド・クアトロM・ホットブリザードの皆様には本当に申し訳けありませんでした。
■市営球場の試合が終わり、千曲川へ集合する頃になると、陽も少し傾き、ホットブリザードの最終曲の頃には、少し客も増えました。
■千曲川で校歌を歌う会は会場に塚田佐同窓会長を迎え、長中・北高・長野高校と歌い継がれた応援歌・班歌・校歌を大声で歌い上げました。驚いたのは、全員歌詞カードなしで歌えることでした。若き日に体で覚えたモノは、かくも永続するものかと歓喜いたしました。
■長野高校100年の歴史の中で、系統立った応援団としての歴史はさほど永くはありません。しかし運動部を応援しようという気運は昔からあり、柔道班・剣道班・空手班等各団体の代表により組織されていたようです。そんな応援団も何度か廃部の危機に瀕してきました。
■'70年安保闘争期、左翼との論争から生まれた「応援団不用説」や、近年女子学生の増加に伴う入団希望者の不足である。
■しかし、ここ千曲川に集った金鵄建児達の歌声は、今後も永々と続くであろう金鵄魂を、全く疑っていないのです。
■100年の伝統もたった3年で完全に途絶えるということを、後輩諸君は肝に命じて欲しい。そして復活するエネルギーは、継続するエネルギーの何十倍も必要だということも…。
■最後に、「OB金鵄祭」と命名したこの日のイベントに御協力いただいた各氏各団体に、貴重な紙面をお借りしてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。そして、このイベントの費用捻出のために製作された記念グッズがありますので、趣旨を御理解の上、多くの会員の方の賛同を受けて完売することを願いつつ筆を置きます。
■本当にありがとうございました。(永流会月原光昭高25回)

イ・ムジチに魅了される

■lO月2日、長野県民文化会館大ホールに於て、長野高校創立100周年記念イ・ムジチ合奏団演奏会が開催されました。
■第一部はバッヘルベルの“カノン"の美しい絃の響きで始まり、世界最高峰の演奏に二千人余の観客は酔いしれ、会場は深い感動に包まれました。
■続く第二部では、イ・ムジチの誇るヴィヴァルディの“四季"が演奏されましたが、その素晴しさは100周年の盛儀を飾るにふさわしく、観客の心を揺さぶり魅了し、アンコールの嵐となりました。
■アンコールの二曲目に校歌「山また山」のメロディーが流れ出した時、会場は感動の渦となり、それはまさに100周年記念の至福の瞬間でした。わが母校の校歌のなんと気高く美しく、そしてやさしくなつかしかったことでしょう。胸に熱いものが込上げて来ました。
■在校生、同窓生、市民の皆さんが共に楽しんだ演奏会でしたが、一人一人の心に何か大切なものが残る演奏会であったとしたら、大変嬉しいことです。
■なお校歌の編曲は高43回生の日置あゆみさんの手になるのもであることと、イ・ムジチのメンバーも校歌を大変気に入って下さったこと、更に良い聴衆に恵まれて最高の演奏会だったと喜んで下さったことを付記致します。
■最後に御協力いただいた皆様に心から感謝申し上げますと共に、プロモートして下さいましたオフィス・マユ様に紙上をお借りして厚く御礼申し上げます。(倉石美子高12回)

「ゲルニカ」との再会

■数年前にスペインへ旅行した際、最後の日に、マドリードでちょっと時間がありました。ほとんどの人はショッピングに出かけましたが、私は友人と二人タクシーでソフィア王女美術館を訪れました。長年の念願であったピカソの「ゲルニカ」を見たかったのです。広い館内を全部見る時間はありませんでしたが、「ゲルニカ」を見ただけで満足でした。
■本来、私は前衛画は良くわからないので、ピカソも苦手の分野なのですが、「ゲルニカ」には強くひかれます。時として強烈な色使いをするピカソが、モノトーンで描いた大きな油彩画は、そのモノトーン故に戦争の悲惨さ、嘆き、苦しみ、悲しみを強く訴えかけているように思います。
■100周年事業の一環として「ピカソ展」が企画され、再び「ゲルニカ」と対面することができ、スペインでの感動がよみがえりました。例えそれが写真複製であっても、訴えてくるものは本物に劣ることはありませんでした。(湯川充代子高7回)

盛大に記念書道展

■創立100周年記念書道展は約40名の出展者により、越前画廊で盛大に開催された。また故小出聖水先生の遺墨が花を添えた。出展者はつぎの通り。

遺墨出陳 小出聖水 先生
塚田佐

本山綱規

仁科恵敏
若麻績侑孝

宮崎眞
麻沼和男
曽山義教
藤澤俊英
金子玉仙
桜井聖崔
堀利雄
笠原聖雲
松本崔水
桜井次郎
橋本浩
三井袈裟治
中澤嶺水
横田幸雄
黒岩溪仙
遠藤誠之
小林一雄
関吾心
平栗正之
小林五龍
南澤宙齋
中嶋白水
海沼寿昂
北澤剛
石田輝仙
二木真木
池田陽子
清水正寛
佐藤充
塩澤偉
金子由佳理
笠井明日香
荒井稔
小出州
上島玉豊

カイトソサエティー演奏会

■「山また山のはるかたに…」懐かしい校歌を昨年は思う存分歌わせていただいた。合唱班で共に学んだ仲間が、カイトソサェティーと名付けたOB会をつくって34年になる。1986年の20周年記念コンサートを最後に演奏会活動を休止していたが、母校の100周年に合わせて記念コンサートを行うことになった。休止していた13年ばかりの間に、現役の合唱班は、男声合唱と女声合唱班の並立時代を経て混声合唱班の誕生へと大きく変容を遂げた。
■今回の記念演奏会は、母校の100周年記念式典の1週間前10月24日に長野駅横のメルパルクホールで行われた。地元のメンバーはもちろん、毎月の練習に新幹線で駆けつけてくれた仲間、学生で旅費が乏しいからと夜行バスで駆けつけてくれた若い人、遠くは鹿児島まで全国に散った仲間たちの熱気を感じ、そのことだけ見てもドラマがあるなと思わされた。
■当日は、60名の会員がステージに登り、女声も4名と少ないながらもすばらしい表現力の持ち主ばかりで、混声合唱として新たなスタートをしたカイトソサエティーに花を添えてくれた。
■終了後も事務局のEメールに喜びの声がたくさん寄せられた。インターネットを通して、世代を越えて新たな交流が生まれてきている。これからが楽しみなOB・OG会の活動となりそうである。(三ツ木辰巳高23回)

生徒と100周年記念

■生徒が関わった100周年記念の行事について、まとめておきたい。
■まず、5月10日の記念植樹に吹奏楽班の演奏で合唱班が校歌を斉唱した。
■5月13日、フリーのパーソナリティー武田徹氏(高17回)を招き、猪瀬直樹(高17回作家)と学校時代の思い出を3年生の前で語っていただいた。このシリーズは進路指導の一環として、さらに6月3日、山口義憲氏(高17回広告会社勤務)、6月17日、樋口覚氏(高18回文芸評論家)、l1月25日、田中秀征氏(高11回元衆議院議員)により保護者などにも公開しておこなわれた。
■5月26日から6月2日にかけて県民文化会館ホールで記念美術展が開かれ、在学中の美術班員も作品を展示した。
■6月13日には、浅川グランドで箕島高校を招いて、野球部の招待試合を行なった。また、金鵄祭中の7月11日には、サッカー班が清水東高校と招待試合を行なった。
■第51回金鵄祭は創立100周年記念の冠をつけて、7月8日からl1日まで開祭された。記念事業として、講演会にはテレビタレントの、ケント・デリカット氏を招き好評であった。
■また7月10日に小体育館で、アルバータ峯のピッケル寄贈式(詳細は本文中)の折り、山岳班班長西沢知宏君がピッケルを持って入場し、カナダ山岳会会長に手渡す役を担った。女子の有志が歓迎の花束を贈呈し、生徒会長塚尾早希さんが歓迎の挨拶を英語で行った。
■11日には、小体育館で「在校生と同窓生が合同で校歌を歌う」イベントを開いた。管弦楽班の演奏で、壇上には合唱班、合唱班OB、応援団、応援団OBが上り会場の同窓生、在校生ともに「山また山」を高らかに斉唱した。
■10月2日、イムジチ合奏団演奏会が県民文化会館で行われ、在校生全員が世界一流の音楽に触れる機会を得た。特にアンコーールのイムジチ合奏団による校歌「山また山」の演奏は、同窓生だけでなく在校生にも深い感銘をもたらした。演奏を聞く態度も、さすが長野高校生だ、とお誉めの言葉をいただいた。特に指導した訳ではなく、一流のものは誰にも引き付けられる魅力があるということだろう。
■10月30日の記念式典では、吹奏楽班が校歌を演奏し、アトラクションでは、管弦楽班並びに合唱班、合唱班OB、それと1、2年生の音楽選択者合同で「ハレルヤ」を合唱した。この日のために半年間練習した成果であった。 (飯田淳一高23回)

在校生と同窓生でともに「校歌」を歌おう

■金鵄祭中の7月11日(日)午後1時から、母校小体育館において開催されました。武田徹氏(高17回)が司会進行を務め、壇上には校旗、三好愛吉先生の写真、佐久間象山像が飾られ、神聖なるピアノもその古色蒼然とした姿を見せておりました。
■オープニングは応援団の口上と応援歌「凱歌」が歌われました。「思い出を語る」と題して、恩師の麻沼和男先生、松沢すみ先生、そして同窓生の塚田佐市長(高6回)、日本野球界で活躍された高4回の町田行彦氏、松橋慶季氏からインタビューを交えながら在職、在学当時の話をしていただきました。続いて学校の宝である日新鐘の音、佐久間象山像、そして神聖なるピアノが紹介されました。
■この行事のためにお越しいただいた依田和彦氏は以前、本校の職員として勤務され、神聖なるピアノがきっかけでピアノの調律師になられました。依田氏の戦後まもなくのお話、神聖なるピアノに対する思いは会場を感動の渦に巻き込みました。そして竹村千佳さん(高48)による神聖なるピアノの演奏披露がなされました。
■合唱班、合唱班OBが登壇し、吹奏楽班の伴奏により皆で声高らかに歌った校歌「山また山」に、長野高校で学んだ至福の喜びを充分感じたことでしょう。
■神聖なるピアノは、創立90周年記念として修復されました。元学校長である西村先生が、当時のあいさつ文を寄せて下さりましたので、その一部を掲載します。

創立90周年記念 1989.4.27 神聖なるピアノ演奏会挨拶 元学校長西村忠彦

■人間がいつも新鮮な感動と意欲をもってものごとを為していく上に初心に還ることの大切さについて、そしてこの学校の初心を教える神聖なるピアノのことを、今年始業式でも入学式でも語らせてもらいました。本校創立の時から90年、
■この学校の歴史を見守ってきたこのピアノ。ピアノの奏でる美しい音色、音楽というものが人間の心を美しく磨き、ふるいたたせることに思い致し、そのピアノを手に入れるために、全校心を合わせて冬の寒さに耐え、節約した燃料代をもってこのピアノを購めたという、創立当時の三好愛吉校長はじめ当時の職員生徒の高邁な精神・この学校の初心がこのピアノに籠っているのです。
■本校の伝統の中で、その質実剛健、和衷協同と呼ばれる精神が、このピアノと共に大切にされてきて今日に至っている。そして今このピアノがあるのです。物質的に豊かなこの現代文明の中で生きている私たちに、高邁なものを求めて、努め、時に抑制し、また困苦に耐えることの大切さを忘れる勿れと教えています。神聖なると名づけられた所以は、そこにあると思います。
■さて90年前、このピアノが本校にもたらされた頃、ピアノはどういう存在であったのか、どういう使われ方をしていたのだろうか。「長野高校80年史」をひもとくと、「長野中学校の校風の形成を促したものは神聖なるピアノと講談会と同級会である」(P.71)と記されている。
■当時、講談会と呼ばれる全校集会(生徒数500人)が年に数回開かれていた。先生の話(地球の成り立ち)、生徒の意見発表、英語の演説(セルフデペンデンス)、詩の朗読、撃剣などが内容。その間にピアノ伴奏による唱歌、独唱、ピアノ独弾が入っている。
■今日の神聖なるピアノの演奏会は、いわばその創立時の講談会を再現する形での演奏会ともいえる。山岸先生が、生徒諸君がこのピアノを弾いてくれる。オーストラリアから来ているクリステインも弾いてくれる。嬉しいことです。
■125年前というから明治時代の前の時代に、フランスで作られたピアノ。ショパンがこよなく愛したというプレエエルのピアノです。ピアノの命、絃を張ってある骨組みが今のものは鉄骨ですが、当時のピアノ、このピアノはまだ木材が使ってあります。そういう意味でも貴重な文化財なのですが、そのため絃が強く張れないので今のピアノより半音、音が低い。だからたいへん弾きにくいそうですが、いっしょうけんめい演奏して下さるでしょう。心をよせ、耳を傾けて聴かせてもらいましょう。

創立100周年に“お天神さん”先生のことも

■昨年の母校100周年は、昭和初期の旧制長中に学んだ80歳代の私たちが、旧師にまつわる思い出など、古き「よき時代」を回想するチャンスにもなった。
■漢文担当でニックネーム「お天神さん」の北村毅太郎先生。妻科に住み、長野中学創立の明治32年(1899)から、昭和5年(1930)3月まで31年間の在籍は、その後の「キップ」太田滋雄先生の31年6ヵ月(大正7年〜昭和24年)に匹敵する。昭和4年入学の私たち長中34回生は、すれ違い同然で、授業を受ける機会はなかったが、先輩たちの話によると「謹厳実直。古武士を絵にかいたような」教師だったという。
■ふだんは長身痩躯を、ツメ襟服に包み、時には和服正装の襟姿で、四書五経や唐詩道の講義。必要以外のことは言葉少なめだったが、漢文を朗読するときは「大声をはりあげて」模範を示す。授業の中で、しばしば初代三好愛吉校長先生の教えに触れ「創学の精神」伝承を長中生に説いたのは、自らも“神聖なるピアノ”購入のため、冬の寒さを耐えた仲間の1人として「長中の美学」を貫きたかったのであろう。(小山利男・長中34回)

教職員異動

OBが校長・教頭に就任

ご挨拶
学校長 高野忠夫
■同窓生各位におかれましては、それぞれの分野でますますご活躍のこととお慶び申し上げます。
■この度思いもかけないことではございましたが、母校で勤めさせていただくことになりました。校長室の机に座りますと真正面に、河野通勢先生による佐久間象山の肖像画が掛けられています。鋭く独特の眼差しと左手の人差し指で、「何を思ってそこに座っておる。世の中は見えているか。生徒は見えているか。」と絶えず問われているようで、緊張の毎日を送っております。
■昨年創立100周年の大きなけじめをつけ、新たな校史を創造すべく、次なる100年への第1歩を踏み出しました。
■100周年の記念事業を拝見し、いまさらながら本校の底力を感じましたが、素晴しい先輩に恵まれ、素晴しい施設・設備に恵まれ、力量あるスタッフに恵まれて勉学に励むことができる本校の生徒達は幸せです。
■図書館で見ましたら、結構哲学的な本を生徒達が借り出しておりました。教科の学習だけではなく、人間としての豊かさへの思いも持って学校生活に臨んでくれている生徒の一面を垣間見て、嬉しくなりました。豊かな環境に恵まれているからこそ、「質実剛健」「和衷協同」「至誠一貫」の校是の今日的意義を確認し、先輩達が踏破してきた山また山を仰ぎ見るとともに、その遥か向こうに自ら目指す鋭峰を征服すべく、力強く前進してくれることを願っております。
■微力ではありますが努力してまいる所存ですので、同窓生各位のご指導とご協力をお願い申し上げます。

転任・退職教職員

(※印は同窓生数字は卒業回期)
校長 本山綱規     退職
教頭 千葉俊彦     篠ノ井(校長)へ
教諭 宮崎秀一   (国語) 上田へ
(〃) 小林冬樹   (〃) 須坂東へ
(〃) ※佐藤尚登 高24 (社会) 皐月(教頭)へ
(〃) 白鳥敏秀   (〃) 長野西へ
(〃) ※西澤志 高33 (〃) 須坂商業へ
(〃) ※横沢克 高12 (数学) 長野南・長商へ
(〃) 五味 常春   (理科) 諏訪実業へ
(〃) 奥脇  教   (体育) 長野工業へ
(〃) 二ノ宮邦彦   (英語) 中野西へ
(〃) 宮崎  昭   (〃) 退職
事務長 西澤 正和     退職
事務補 竹部 利治     松本建築事務所へ
主事 丸山 和紀     長野地方事務所へ
校技 山崎 正夫     更科農へ

新任教職員

(※印は同窓生数字は卒業回期)
校長 ※高野 忠夫 高1   小諸より
教頭 ※青山 訓康 高17   飯山照丘より
教諭 山中 直樹   (国語) 中野より
(〃) 丸山 武昭   (〃) 須坂より
(〃) ※長田 勝宏 高31 (社会) 犀峡より
(〃) 大塚  正   (〃) 飯山北より
(〃) 柳澤  哲   (〃) 小諸商業より
(〃) 斎藤 住夫   (数学) 須坂より
(〃) 横沢 喜文   (理科) 中野西より
(〃) 笠原  浩   (体育) 諏訪清陵→高体連
(〃) ※小林 義昌 高22 (英語) 諏訪清陵より
(〃) 杉村 英男   (〃)  
(〃) 吉越 和美   (〃) 飯山北より
事務長 小池  満     豊科より
事務補 蟻川 利春     松本蟻ヶ崎より
非職 小嶋 和子      
校技 黒岩 敏雄     衛生公害研より

支部・同期会・OB会だより

長中42回総会 〜物故者のご本尊も総会に〜

■長中42回生同窓会の長野本部は、平成11年4月16日、郵便貯金会館メルパルクで、お花見をかねて平成11年度の総会を開いた。
■会場正面の金屏風を背に、同期の故松倉淑人氏が生前、同級生物故者のご本尊様にと会に寄贈された、聖観世音菩薩立像(朴の木、身丈41cm)と物故者の過去帳が披露された。松倉氏は東京都庁を退職の後も京都の仏師松下法輪氏に師事し、がんと闘いながら仏像の制作に没頭した。
■平成3年の善光寺ご開帳のさい、同氏が大本願で開いた仏像展の展示作品のなかで、会心の作という聖観世音菩薩立蔵が寄贈され、爾来随行坊に安置された。また物故者の過去帳は、曽山義教氏が卒業以降の物故者の命日を丹念に調べ記帳してきたもので、過去帳名簿は57名。(総会当日現在)
■こんご総会では、菩薩像と過去帳を飾って、物故者への供養をしていく方針。そして菩薩像のお厨子を用意することも当日の総会で承認された。
■議事終了後、約2時間にわたり旧交を温め、校歌で締めくくった。
(佐藤一郎)

三星会総会

■平成11年度三星会(長中・長高排球班OB会)総会は、長野駅前「油や」にて4月24日午後6時より開催されました。本山学校長はじめ、歴代監督の先生方・現監督の先生、同窓会事務局、現役排球班(男子)・女子バレー班、OB等総勢八十余名が出席し、大盛会となりました。
■総会は剱持幸次副会長(高7)の開会の辞で始まり、続いて今年度より繁田信(長中45B)先輩より会長の任を引き継いだ仁科恵敏(高4)新会長の挨拶がありました。
■ご来賓の先生方の紹介後、議事に入り規約の作成、事業報告・計画、役員改選報告、会計報告等が報告・承認されました。
■繁田信前会長には、会長として三星会を長年にわたりまとめ上げてきていただいた事に感謝し記念品を贈呈し、また退任のご挨拶を頂きました。そして会員の中にも、排球班OB会の名称〔三星会〕の由来を知らない者もおりましたので、名付け親の横山達(中49)先輩より、その所以をご説明頂きました。引き続き排球班(男子)及び女子バレー班の現役紹介をし、仁科会長より助成金が贈られました。
■記念撮影をし、桑原英明(中43)先輩の音頭で乾杯。今年は20代、30代の若手の出席も多く、例年以上に盛り上がりました。
■中島庸介副会長(高4)の指揮で校歌「山また山」班歌「暁鐘の歌」を歌い、東京から駆けつけていただきました宮澤武史(高2)先輩のご発声で万歳三唱。荒井豊副会長(高12)の閉会の辞で、無事11年度三星会総会は終了しました。
■今回、若手会員から大先輩まで幅広く多数のOBが出席し、現役は例年の排球班(男子)に加え、女子バレー班も招待しました。これはOB会としては、母校でバレーボールに打ち込む現役生徒全員に対して、エールを贈りたいという気持ちからのものです。
■席上、来年度の総会の日程が平成12年4月22日(土)長野駅前「油や」と決まりました。今年度総会にご都合悪く出席出来なかった諸先輩の皆様、是非とも来年度はお越しいただけるようにお願い申し上げます。(若林幸雄高25回)

長高15回 同期会

■私達長高15回同期生は、平成11年度の同窓会の当番学年となった。5月29日(土)同窓会総会終了後、同期生で在学当時の応援団長であり、昭和37年度夏の甲子園へ金鵄球児が出場した折大活躍した、五明昇さん(日本経済新聞社印刷局長)の講演会を開会した。
■題して―応援にかけた我が青春―。五明さんは、三十数年前、善光寺様から頂いたという大きな御数珠を首にかけ、当時の応援の様子を語って下さった。
■熱き心意気の応援風景、甲子園出場決定に沸いた母校、同窓会の皆さん、街の人々の心暖まる応援など話され、当時の夏の日を彷彿とさせて下さった。学生服に高下駄をはいて応援し、途中で下駄に水をかけて炎天下の応援を続けたこと、当時の応援団、生徒の応援のマナーのよさを誉められたことなど、熱く語って下さった。会場にいらした先輩の皆々様も感激したとおっしゃって下さった。又当時五明さんを応援団長に指名した生徒会長だった坂田勝さんも、東京からかけつけて下さった。懇親会には、当時の吹奏楽団の三橋努さんが、校歌斉唱の折チューバの演奏をして花をそえて下さった。
■二次会は、当日の記念講演会の大成功を祝って40名近い同期生が、滝沢功さんの「ます栄」に集合し、五明さんご夫妻を囲んで甲子園の応援の話しで盛り上がった。
■甲子園の開放されたあの広い青空、夜行で長い道のりを汽車でかけつけた日、あの夏の甲子園のスタンドですごした青春時代の大きな素晴しい体験が、いつも同期生の皆の心を一つにしていると思う。
■私達15回同期生は、今から二十数年前、武田喜伯初代会長のよびかけで同期会を結成し、5年ごとに同期会を開催してきた。植木修一さん、福島一明さん、現会長の渡辺晃司さんへと引きつがれている。社会人となってからなお一層、深い心の絆をもってよい仲間の集まりが続いている。これからも人生の後半にむけて、よき出会いが長く続くことを願って二次会を無事終えた。
■秋の100周年記念の日には、もっと多くの仲間との出会いを企画している。(外山(松野)道子)

長高27回 総会当番後打ちあげ会

■平成11年5月29日、長高同窓会総会懇親会終了後、犀北館のバーに場所を移して20名程が集まりました。
■総会懇親会で「煙が目にしみる」を美しい英語で歌ってくれた前田真枝氏、100周年記念美術展に工芸品「千年紀末のアール=ヌーボ、アール=デコ」を出品中の荻原実氏をはじめ長野市周辺の仲間達と、ビール、水割りの飲み放題でワイワイとおしゃべり。
■総会の当番学年ということで、名簿を頼りに県内在住と思われる160名に慣れぬパソコンで手作りの往復葉書を郵送。50通の返信、20名弱の出席は、多いのか少ないのか。幹事につきもののむなしさはさておき、とにかく無事に総会が終わってよかった、よかったと、杯を重ねました。
■「筋力系でカーボローディングが必要なあまりメジャーではないスポーツ」―もしかして綱引きですか?―にいそしんでいるH氏、「誰かよい弁護士は知らないか?」とちょっとシリアスなT氏、「つい2年前にめでたく御成婚」というK氏。各々42才の青春まっただ中という雰囲気に、ホノボノとしたことでありました。
■さて、100周年募金。我々27回生は130名、227万4880円と割とがんばっている方だとは思いますが、“まだ”の方は是非お近くの郵便局へ。
■振込番号 00500-2-12314 長野高校100周年募金高27回卒あて(繁田 美香 e-mail mmemika@rc4.so-net.ne.jp)

長高39回 同期会 〜13年ぶりの再会も〜

■平成11年5月29日の同窓会総会において、われわれ高39回生は、初めての当番学年を迎えた。「とにかく100人集めよう」との呼びかけで、9つのあったクラス単位に連絡を取り合い、総会後の懇親会では100人近く、その後の同期会では100人を超える出席が得られた。
■懇親会では、クラスごとにテーブルを設けていただいたが、席に着いていたのは最初のうちだけ。当然、卒業以来、13年ぶりに再会する仲間もいるわけで、一体何から話していいものやら。時の流れとともに、やはり外見もそれなりに変わるもので、遠回しに「あれ、誰だっけ?」「え一!!」などのやり取りも聞かれた。一方で、全然変わらない仲間も多いわけで、当時の思い出がすぐよみがえった。
■引き続いて同期会に移ったわけだが、ここから加わる仲間も多く、受け付けの時点で立ち話に夢中。われわれの代の生徒会長である花岡信太郎君の乾杯の音頭でいよいよ始まった。立食形式だったこともあり、なつかしい顔を見つければ、あっちに集まり、こっちにかたまりで食事どころではない。間もなく、クラスごとにステージに上がり、一人ひとりの近況を紹介していった。
■2組からスタートし、後は順々に指名。投写機で卒業アルバムも写していく凝った演出もあり、会は盛り上がった。クラスにより、出席者にばらつきがあったが、多いクラスでは20人もの参加があり驚かされた。就職先や結婚予定など紹介されるたびに「お一」だの「おめでとう」など声が上がった。あるクラスでは、1人の趣味でアントニオ猪木のテーマで入場を試みたが、ついていけないと思ったのか、恥しそうに登壇するクラスメートの姿が印象的だった。
■会の締め繰くりは、当時の応援団長、宮沢里志君の掛け声で校歌斉唱。あらためて同期の結束が深まったと実感した。
■今回、当番回期がきっかけに、これだけの同期生が集まれたことに感謝しつつ、次回の当番とは言わずにまた同期会を開けることを願う。(小池剛)

長中40回 同級会

■平成11年のクラス会は喜寿の祝いをかねて、6月12日(士)、上山田温泉に1泊の集いとなった。
■長野駅東口よりバスに乗り、陽も高い3時過ぎにはホテルに到着。眺望すばらしい屋上の大浴場にゆったりと身をゆだねて、わが身の健康もさることながら、留守後顧の憂いなく、クラス会に出席できる身の、これぞ幸福せ!をしみじみと味わう。
■6時宴会場に集合。開宴に先立ち幹事より、前年度1年間の会務報告、会計報告があり、また、母校創立100周年記念事業募金の目標額満額納入の報告とともに、10月30日開催の創立100周年記念式典並びに祝賀会の参加について、クラスとして楽しみな企画の披露があった。
■いよいよ乾杯。今年もまた元気に参加できたことを祝して、声高らかに乾杯。酒宴に入る。
■恒例の各人1分のスピーチが終る頃は、久しぶりに見るクラスメートの顔と名前が結びつき、徳利片手に移動する姿も次第にしげくなり、互に六十有数年前の純情な悪がきの雰囲気に滲って、呵々大笑また大笑。あるいは世相を両断して悲憤慷慨、騒々しくも、これぞクラス会。喜寿もなんのその、年を忘れての楽しい夕べとなった。ようやくのお開きに当って、「山また山」を斉唱し、記念撮影となる。
■今回の参加者は遠くは四国高松から、富山から、県外8名を含めて24名であった。常連数名が急な用事で参加できなかったのは誠に残念でした。それにつけても、参加者の名前を揚げて、「おお!あれも元気でいるか」と級友、同窓に知って貰うのもいいかと、当日の出席者名を列記させていただいた。
■翌朝、幹事諸兄の毎々のお世話に感謝し、次回も楽しいクラス会を企画してくれることを願い、一同再会を胸にホテルを後にした。
■安藤武 池田剛 伊藤三郎 金子宏 木田和夫 草薙雄進 久保田森男 染野明 武内武雄 竹村数男 羽生田文雄 深沢亥知郎 藤本奨 松崎忠郎 峯光幸 宮崎松三 宮本了吾 湯田文平 横田源太郎 横田碩 吉川修一 和田一武 渡辺芳朗(竹村数男)

長高4期会 総会

■平成11年の四期会総会は6月12日(土)、長野駅前の「金龍飯店」に丸山保、宮澤、武井、伊藤嶺、湯本宣先生を招き、73名が参加して開かれた。当初85名の出席予定が、病気、他用、年には勝てぬか健忘?で12名が欠席。県外からは卒業後初めて出席した野球部マネージャーの野村高明君(新潟市)ら12名が顔を見せた。
■1部の総会(司会林部鷹司君)で宮下雷平会長が「四期会(昭27卒)も全員が65歳以上となり、老人クラブ有資格者、年金受給者です。ことしは母校100周年の記念すべき年。10月30日の同窓会祝賀会のあと、四期会独自の二次会を予定したい」とあいさつ。中島庸介事務局長から、昨年の総会以降丸山雄二郎、宮川、村井の三先生と西沢三代治、吉川昭、西沢定良三君寂滅の報告があり、全員で黙とう。村井先生からは出席のはがきをいただくも、この日を待たず90歳で5月12日に亡くなられた。
■2部の懇親会(司会千野君)に移り、中島局長が100周年記念催事について詳細に説明のあと、「来年は卒業48周年、記念すべき四期会にするべく4月の幹事会で準備委の三役を選出した」と報告。三役を代表して北村陽一君(他に宇都宮・小口君)が「在京の諸兄が多いことから長野と中間点あたりでやりたい。来年の6月10日(土)はいまから予定願いたい」旨の決意表明がなされた。
■最長老の丸山先生の発声で、恒例となる「桂正宗」(千野君)「松尾」(高橋博君)両蔵元の吟醸生酒で乾杯。待ちかねてか卓ごとに肝胆相照らす歓談が渦を巻く。半世紀も昔の住事茫茫、あの少年時代に思いをはせながら―。60代の中間点、マンパワーで走りつづけてきた生産年齢層を経て高齢者層に仲間入りして、多くは致仕の身となる。年齢を刻む風貌もこのひとときに癒しを得てか、だれもが満足げな笑顔に変わっていた。
■8時を過ぎ、角田君の朗朗の先唱で「山また山」を3番まで通して斉唱。名残り惜しみつつ散会した。(山口裕三)

大阪長高会

■大阪長高会総会を平成11年6月25日午後6時から、北浜のライオンズホテル大阪にて開催いたしました。
■当日は会員30名が出席し、北村恭二氏(高4回、大阪証券取引所理事長)より「株の話あれこれ」という演題にて、最近の株式をめぐる話題にて話をしていただきました。
■最近の株価が上昇傾向にある要因について「今後の景気の先行きを多くの投資家が大丈夫とみており、すう勢として株価が上昇している。」として、明るい見通しについて話され、また株式をめぐる日米の考え方の違いや、ベンチャー企業への投資・インターネットの発達による状況の変化等、今後の課題についてわかりやすく話していただきました。経済不況の渦中にある私達多くの会員にとっては、興味ありかつ久々に明るい話題となり活発な質疑もなされました。
■その後嶋倉宏(高3回)大阪長高会会長の総会開会の挨拶と川邊進夫氏(中41回)の音頭で乾杯し、中華テーブルを囲んでにぎやかな酒宴となりました。小林義一氏(高16回)より長野県大阪事務所所長赴任された挨拶があり、小林道明氏(高15回)より山岸哲氏(高9回・今回欠席)が山階賞を受賞された報告がありました。また各参加者ひとりひとりの近況報告や本会への意見・提案等があり、それぞれの年代に応じて人生の日々を、存分に味わっていることを披露していただきました。関西在住の会員の他に、転勤にて赴任されたフレッシュな会員もそろい、旧交を温める良き機会となりました。
■今回の講演が縁となり、次回総会での講演立候補者もいただき、次回総会も楽しみとなってまいりました。ゴルフコンペの提案もあり10月20日に開催となりました。関西在住の長野中学・高校出身者は300名以上(転勤での在住含めて)とのことですが、機会がありましたら大阪長高会へ是非参加していただき、交流の場としてほしいと思います。
■宴たけなわとなり、野球部OB横山昌夫氏(高30回)・戸井田克己氏(高31回)の指揮のもと応援歌をうたい、肩をくみながら校歌「山また山」と信濃の国を斉唱し散会いたしました。(中澤雅博高25回)

全国大会出場成る吹奏楽班の金管八重奏 歓喜と熱気の吹奏楽班甲子会

■野球にたとえると、甲子園で全国優勝はないが、アンサンブルコンテストの全国大会の銀賞をはじめ、東海大会の金賞や銀賞なら数知れず、という冠たる実積を全国に残して来ているのが長野高校吹奏楽班である。6月の定期演奏会に毎年祝電を贈り続けて来たのが、草創期の県下吹奏楽大会の時代を知る昭和37年の三年生(15回)・二年生(16回)・一年生(17回)のOBでつくる吹奏楽班甲子会(代表幹事・塚田貞俊氏15回・会員32人)である。
■班史に関与し、旧情を温める懇宴は記念懇親会へと拡大し、近くでは平成8年の創班60周年。9年の甲子園での演奏35周年・現役定演25周年。10年の東海大会初出場35周年・15期生卒業35周年と続き、甲子会メンバー滝沢功氏(15回)経営の権堂「かよう亭」に、お世話になった顧問先生をお迎えして毎年盛大に開催されている。
■6月26日(土)に開催された平成11年度の母校創立100周年を祝う甲子会の記念懇親会は、この春の嬉しい吹奏楽班のニュースもあって熱く燃えた。吹奏楽班の金管八重奏がアンサンブルコンテストの全国大会出場と、創班以来初の女子生徒の指揮者の誕生である。(全国大会出場は3年ぶり3度目、前回は打楽器六重奏で出場。吹奏楽班の功績を称えて優秀賞を金鵄賞授与式で贈る)
■さて、懇親会は桜井胎先生をお迎えして塚田代表幹事の挨拶で始まり、先生のお話、幹事報告に続いて三原誠氏(16回)の乾杯の音頭で熱気を秘めて開宴に入った。
■歓談の輪は盃を交すにつれ高調し、呼び起こされた青春の炎にまかせ、愛すべき班室の天井裏や床下の話へと広がり、得難い装備品の実体験談へと一気に開花。爆笑談は悔いることも忘れてコンパの珍談奇談へとさく裂。汽車で通った野球の応援の重い出や、体育館で投宿した甲子園の背中の痛みなど、尽きることもなく絶高調に燃えあがった。
■時うつりて、笠井雄一氏(15回・新潟在住)のエールで「校歌」の斉唱「応援歌」と続き、信越放送アナの丸山憲司氏(17回)の先唱で、明年の再会を約して万歳の_唱となったのは22時であった。(横田稔 高17回)

長中29回(北友会)

■長中29回の年少組北組も、今年は88才を迎えたので、「米寿北友会」を改装した松代荘で開く。吾々は、長野中学校創立25周年の大正13年(1924)年に入学し、今年(1999)100周年を迎えて、通算75年の縁である。
■かえりみて、25周年の祝典行事も多彩であったが、100周年は更に盛大で、前途洋々の思いがする。米寿北友会に参集した者は、生存者8名のうち5名である(夫人が3名)。
■初めに、他界した級友の霊を慰めて、米寿まで生かされた喜びを噛みしめながら、思い出話しに花を咲かす。今回は中村一雄君のガイドで象山地下壕、横田邸と池田満寿夫美術館を見学する。(長野 南沢次勇)
■私達は母校創立25周年の年に入学し、母校創立100周年に米寿を迎えたわけで、誠にめでたい年である。しかしながら、長い間クラス会(北友会)のために尽くしてくれた金井孝君がいたらなあと、かえすがえすも残念である。中学時代はまさか80才過ぎまで生き永らえるとは思ってもみなかった。感慨無量(横浜 杉谷栄助)
■建学の名器「神聖なるピアノ」を今日に伝えた初代校長三好愛吉は、仙台の第二高等学校で校長になり、宮中で二皇子の伝育官長となる。「生にいま一度長野中学校長をやってみたい」といったという。中学生の情操教育を真剣に考えた卓越した実践は、彼の学生時代の論文につながり、真骨頂を示すものであった。(長野 中村一雄)
■今年は88才の米寿の記念すべき年で、去る6月26日(土)27日(日)に松代の松代荘で同級会(北友会と称す)を催し、集る者5人(内3名夫人同伴)で盛会であった。同年の者が皆元気な姿で集ることは何ものにも優る薬であって、私などは勇気が内心からもりもり湧き上がって来るのを感じました。(川崎 町田尚)

思い出

朝な夕な少年の夢を育くみし
    日新鐘はいかがなりけむ
飯づな原、竜宮渕よ、ゲジゲジ山よ
    われら学べる場は広かりき
             (逗子山本正男)

長中41回同期会

■開催日 7月1日〜2日 会場 渋温泉 金具屋
■古希半ばを過ぎ七十余の友が既に他界、寝たきりの人も多いと知る中で、33名もの参加は、うれしい限り。
■尚その模様を下記の諸君が送ってくれましたので、寄せ書きとしました。(長野今井)
■普段の行いが良かったのか、今回の会合は見事に好天気が到来し幸いでした。新校舎の見学、善光寺本堂での物故者法要、渋温泉金具屋、エムウェイブ等凡て素晴しかった。(町田市杉田)
■母校100周年記念、長中41回生同級会が開催され、懐かしい卒業当時の教室が同窓会館と一緒に残され感無量でした。勉強はそこそこ、剣道ばかりして卒業した者が今皆と一緒に校歌、応援歌を絶叫することが出来た。すばらしい一日でした。(東京鈴木)
■卒業して初めて参加、33名の友との再会は半世紀余の眠りから覚めた思いのタイムスリップを感じた。自己紹介を聞きながら、60年間の時の流れに思いをよせ、山また山の山並をよくぞ乗り越え来たものと唯感慨無量、故人の冥福を祈る(町田市宮崎)
■やあやあと笑って挨拶の後に、どなたでしたっけと尋ねる始末、記憶の一番奥が混乱している。あれから60年を遡ると、日清日露を経て西南の役に到る。長く生きたもの、先に逝った友の面影、古風な宿と湯気にけむる中天の月、高速道と面目一新の町並み、巨大なMウェーブ、驚きばかりの旅だった。(東京宮沢)
■41回卒と云えば白沢、樋口、上條と3校長の時代である。本日の参集者は社会の大きな移り変りを乗り越えた幸運児かも知れない。人は皆ここまで来たら働くではなハタラクく「端楽」つまり廻りに迷惑を掛けぬこと。一にも二にも健康第一など話し合う。(柏市村松)
■卒業して58年の歳月、この間長野での同級会2回、鈴木君主唱の在京有志会3回、今回は70余名の物故者法要。母校では本山校長が伝統の受け継ぎについての真塾な姿に感銘。激変の中で変らぬものは山の容と友の情、老いて邂逅、楽しきかな人生。(東京渡辺)

高10回(山々会)総会

■平成11年7月3日。高校10回卒首都圏地区同期会の総会が神田九段下「ホテルグランドパレス」で開かれた。今年は2年振りの開催となり総勢64名が集まった。
■長野からは、青沼寿君、信大工学部教授の土屋良明君をはじめとして6名が、また遠路仙台からは東北大医学部教授の金丸龍之介が出席されるなど盛会であった。
■総会は長野からのlOO周年記念事業等の近況報告や山々会会計報告など型通りに行われ、青沼君の発声で乾盃、いつものように賑やかな宴席となった。盃が進むなかで、恒例の各クラスごとの紹介に移った。
■人生60年の節目を迎えた我等同期諸兄は、天々に新しい人生のスタートや現在の心境などを熱っぽく語り、一同賛同の頷きや思わず噴きでる笑いの声に、しばし時間のたつのを忘れた。
■「山々会」総会は例年東京都の「フロラシオン青山」で開かれていたが、今年からは同期神田頼幸君が支配人をつとめる「ホテルグランドパレス」に移しての会であった。永年、東京都財務局に勤務されていた小林紘道君には会場の確保にはずいぶんお世話になったものである。また今回は週刊誌アサヒグラフの「田舎暮らし万歳」で紹介された神山英昭君が、山形県高畠町から出席され、自給自足に近い田舎暮らしを語ってくれた。正に人間到る処に青山有りと言った心境であろうか。
■宴席もアルコール濃度があがるにつれて爆笑と歓声につつまれて、別れがたき雰囲気であったが、一応予定時間もオーバーしたので、恒例の「信濃国」と校歌「山また山」の斉唱へとプログラムは進んだ。かつて吹奏楽班で名を馳せた宇野靖之君のクラリネット伴奏、須田荘一郎君の指揮で音吐朗朗と歌いあげ、過ぎし日の各々時代をなつかしみつつ、お開きとした。
■それでも尚、余韻忘れがたく、参会者の大部分はホテル内の別室に用意された二次会へと発展した。
■来年の再会を約して「グランドパレス」をあとにしたのは、何時頃であっただろうか。(中村直靖)

長野市役所金鵄会

■この会は、長野高校同窓会会員で長野市役所に勤務する者(平成11年5月1日現在244名会長高12回甘利富雄)をもって組織しております。
■会の目的としましては、会員相互の連帯と親睦を図りながら、職務の円滑化を図るとともに、母校の発展に寄与することとなっております。
■平成11年7月22日(木)午後6時から、長野第一ホテルにおきまして、4月に新しく長野市役所に入った新入会員の歓迎会を兼ね、恒例の「暑気払い(総会)」を開催いたしました。当日は、当会顧問の塚田佐長野市長(高6回)や市議会議員の方々をはじめとして、50余名の会員が出席しました。
■市長以下、顧問の皆様のあいさつに続き、新たに会員となった5名のうち、当日出席された2名の方からは、それぞれ自己紹介とともに社会人になっての感想や抱負等を語ってもらいました。これらを聞いた諸先輩方は、皆市役所に入った当時の初々しい頃のことを懐かしく思い出されたことと思います。
■その後乾杯に続いて、懇親会に入りましたが、各テーブルでは、先輩後輩を囲んで高校時代の昔話や現在の仕事のことなどについて話の花が咲き、会場内は大いに盛り上がりました。会も後半に差しかかった頃、長野市議会議員選挙(平成11年9月19日投票日)において、再選を目指される同窓生議員の皆様へ健闘を祈念してエールを贈るとともに、今期限りで御勇退される議員の皆様へは感謝の意味を込めての万歳三唱を行いました。
■こうしておよそ2時間余りの楽しい時を過ごした後、散会となりました。
■当会といたしましても、母校並びに同窓会の今後のますますの御発展を祈念申し上げます。(高野毅高41回)

長中43回同期生会 〜友それぞれに〜

■恒例の長野中学校43回同期生会は、平成11年7月24日(土)長野駅前、ホテルメトロポリタンに於て、長野県知事吉村午良君をはじめ、県外よりの5名をまじえ54名の級友諸君の出席を得て開催された。
■この催しは毎年7月最後の週の土曜日に開かれている。この会によせいつも連想するものに「唐詩選」にのっている、劉延芝の名作「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」がある。花は毎年同じように咲くけれど、それを見る人は決して同じではない。同期生会は毎年変らず開催されるのだが、それに出席する人は決して同じではない。来年も今年と同じように元気に出席して、友と語りあえるかどうか誰にも断言は出来ない。たとえ来年も友と語る事は出来ても、今年の自分と、来年の自分とは決して同じではない。いずれにしても人間は、恒常不変ではあり得ないということである。
○長生きするを我が好しとして年々の仲間の会に相見えたし
○我が手元に日々集りし43回同期生会の出欠通知
○意識する老心など言ふでなく互みに語る同級の会
○出席率40%弱これで好し中学の頃を偲ぶこの会
同期生会は例年と同様、同じ型式で進んで行く。「年年歳歳花相似たり」である。同期生会案内の葉書送付者136人、葉書回答者128人(内訳、出席者54人欠席者74人)無回答者8人物故者53人以上が出欠調査の実態報告である。この中に長野中学校卒業後56年の各自の生き様が一杯つまっているのである。欠席者の大部分は、本人の病気又は体調不良、伴侶の病気介護などが理由である。時には長期の旅行予定などがあげられている。
○体調のよからぬ故の欠席と知らせ来る友よ働きてゐる
○腰痛なれば同級会を止めにする外科医の友の知らせとどきぬ
■長年のそれぞれの分野における活躍に対して叙勲をうけられた人々も数多い。
○座骨神経痛にて歩行自由にならざれど叙勲うけしと友知らせ来ぬ(伊藤博夫)

長高21回 卒業30周年記念同窓会

■高校21回は、10年前の夏、まだ現役校舎であった母校の木造校舎で、卒業20周年同窓会を開きました。
■かつての教室で担任の先生から20年ぶりの「授業」を受け、引き続く懇親会も別会場でなく、講堂にビニールシートを敷き、卓球台にアーブル・クロスを掛けて盛大に挙行しました(以上の文章は、10年前に「日新鐘」への原稿提出をサボつた身の罪滅ぼしであります)。
■それから早や10年、講堂での懇親会開催は望むべくもなくなりましたが、やはり皆が集まるのは金鵄ヶ台。
■21回に因んだ8月21日の昼下がり、「金鵄会館」と命名された木造校舎の玄関を入り、改装なった旧25番教室の会議室に集合(クーラーが利いていて涼しいのです)。
■黒崎秀夫代表幹事の挨拶、本山校長先生・丸山同窓会事務局長のご挨拶をいただいた後、新校舎建設に設計担当として大きな役割を果たした関邦則君から、新校舎のコンセプト等の紹介がありました。これを受けて、校長先生直々のご案内で新校舎を見学、そこいらのフィットネスクラブ顔負けの筋力トレーニング・マシンに眼を丸くしたり、学食のメニューの豊富さにかつての素ウドンを想い出したり、のひとときを過ごしました。
■引き続き、会場をホテル犀北館に移して懇親会。
■クラス毎にテーブルに分かれ、まだまだお元気な北沢先生、ものすごくお元気な松沢先生、去年定年退職されたと聞いて「ウッソー!」のどよめきが会場を包んだ松下先生の、それぞれ元担任の先生方のお話に、昔を懐かしみました。
■今回特筆すべきは、元応援団リーダーの兼沢博夫君。何と、あの黄色の地にエンジの金鵄が入ったりーダー用Tシャツを着て応援歌指揮をしたのであります。あのTシャツを30年間どこかに失くさずにしまっておいたというのも凄いが、30年たっても高校時代そのままに着込める体を維持しているのはもっと凄い!
■総参加者108名、野村文孝実行委員長はじめ、幹事の皆様お疲れさまでした。
■ところで内田秀人君らの骨折りで、21回のホーム・ページが開設されました。
アドレスは、http://plaza19.mbn.or.Jp/~choukou21/こちらもどうぞご利用下さい。(中村 隆次)

零戦勇士混えて34会

■今年度34会(長中34回)を、8月26日上山田温泉で開催した。3年在学中海軍へ転身したため、今まで名簿から洩れていた原田要君が今年初めて参加した。そのため高齢化と共に、ややマンネリ化していた本会が、君の参加によって「活」を入れられた感じとなり、新鮮な盛り上がりを見せた。
■会は先ず会務の報告から始められ、その後原田君のあいさつ、続いて零戦を操っての戦闘経験が語られた。
※零戦(ゼロせん)=零式戦闘機
神武紀元2,600年の零をとって名付けられた日本海軍の傑作機で、操縦性能は抜群であったという。
しかし、それもミッドウェー海戦(17年6月)頃までで、その後は米グラマン機に追い越されるようになり、その差をパイロットの腕でカバーしてきたという。工業技術の水準ばかりでない工業力全体の差であったようだ。
■昭和12年杭州湾上陸の初参加から南京攻略(パネー号誤爆事件)そして真珠湾、ウェーク島、印度洋、ミッドウェー戦と続き、最後にガダルカナルでの敵グラマンとの一騎討ちで双方負傷墜落するまで。正に血湧き肉躍る空中戦の実相であった。
■小憩後、席を懇親会場に移し、再び住時の体験を偲び、今の世相を語り、時の過ぎるのを忘れる程だった。
■最後に当時の校歌「海行かば」「大和心」を、内田君の主導で歌い解散した。
■翌27日は、朝食をバイキングでとり、更に名残を惜しみつつ来年の再会を約して別れた。
■今年欠席の各位も来年は是非ご出席を。(池田 三夫)

東信金鵄会総会

■東信金鵄会の総会は長野高校創立100周年に合せ、平成11年8月27日(金)上田駅前の万花荘で開催された。
■参加人員は永野会長以下30名、来賓として吉村長野県知事、丸山同窓会事務局長が出席され、午後6時定刻となり小林幹事長(中43)の司会の下に会が進められた。
■先ず永野会長の開会の挨拶、つづいて吉村知事のオリンピック後の長野県政について、丸山事務局長からは長野高校の現状、そして100周年記念行事などの説明を受け、本会参加の最年長の横田先生(中39)の乾杯で宴会に入った。
■本会の当番幹事は中43回生4名で、総会にはいつも同級の吉村知事を招待しており、今回も知事が出席、上小地方事務所職員をはじめ普段面識の機会のない同窓の人々が入れ替り知事との懇談で一段と会も盛り上った。
■やがて自己紹介に移り既にリタイヤーして悠々人生を送っている人、不況で苦労している話、高校時代の昔話などユーモアを交めた自己紹介が発表された。最後のしめくくりとして、本会始まって以来はじめて参加した平成4年卒の若きサラリーマンの溌刺たる自己紹介に一同拍手で答えた。
■宴たけなわとなり小林幹事長の提案で校歌斉唱となる。「山また山」の響きは大広間にこだまし、若き青春を思いおこさせ、一同感激にひたるのであった。
■知事所用の為退席されるとの事で永野会長の音頭で知事への万才三唱、そして吉村知事からは東信金鵄会の万才三唱がある。知事退席後再び宴会に入り杯を重ねつつつきぬ思い出をかたり合う。再会を約して9時前閉会となった。(町田壮長中43回)

東京長高一・二・三・会

東京長高一・二・三・会は、平成11年9月3日午後6時より、ホテルフロラシオン青山で開催した。
■此の会は、食物・着る物等極めて乏しかった戦前、母校(当時長野中学)に入学、戦後長野北高校となってから、1回生・2回生・3回生として卒業、現在東京近郊に在住している仲間の集いで、18年前にスタートし3年毎に開催、今年が6回目となる三期合同の同窓会である。
■本年は母校が創立100周年を迎えたこと、当時化学を教えていただいた巣山先生をお迎えしたこと、そして今回当番幹事をつとめた1回生が、卒業満50年の記念の年となること等が重なったこともあり、東京以外からの参加も得て、八十余名の大盛会となった。
■冒頭、1回中島・2回岩波・3回小幡の各幹事より、各期の近況等報告があり、続いて巣山先生からお話をいただいた。
■先生は、教師となって初めて教えた生徒が一・二・三会の連中であったので、とりわけ我々の印象が深いこと、また新任として張切りすぎて、あまりにも難かしいテストの問題を出して、校長に叱られたこと、4回卒でプロ野球界に飛びこみ、活躍した町田行彦・松橋慶季両氏の話等、面白いエピソードの連発に、満場拍手大喝采となった。
■会は、久々の仲間との歓談で大いに盛り上った処で、長野から参加した長谷部好一君(1回)から、母校創立100周年記念事業等について報告があった。
■続いて桜井一郎君(2回)が、当時の名物先生のもの真似を始めるや、あちらこちらからリクエストが続出、会場は爆笑の渦となった。
■〆くくりは、佐藤栄君・長谷部好一君・滝口久君・小原大二君・以上1回・桜井一郎君等当時応援部の面々と、池田利雄君・小林潤二君(1回)・宮川淳一君(2回)・真木貞治君(3回)等野球部のメムバーが壇に登り、会場全員大きな声で、「南下軍」・「山また山」・「海ゆかば」(戦前の校歌)の斉唱でクライマックスとなった。
■最後は、この8月に白馬岳山頂で、同窓生達と100年を祝って来た園原幸二君(1回)の音頭で万才を三唱し、吉田稔君(1回)が、大盛況の幕を閉じた。(中島末明高1回)

長中44回同期会 〜「山また山」の大合唱〜

■残暑きびしい9月8日の午後、県町の犀北館2階ロビーに、なつかしい長中44会の仲間が集まってきました。
「久しぶりだなア」「その後体調どうだ」…と肩をたたきあって賑やかなこと。
■5時から総会小笠原武一会長の「今年は卒業以来ちょうど55年…」の挨拶、会務・会計報告のあとにこの年間に故人となられた新井兎喜雄君と小林万二君の霊に黙祷。
■そして母校の大記念事業にあわせ、特に本部にお願いして、100周年記念事業実行委員会事務局長中島庸介氏のご講演。一同耳を傾けてその多彩な事業内容にあらためて感服いたしました。そして「どうしても長高卒の皆さん中心になるが、旧制中卒の先輩の皆さんもご参加を…」との中島氏の呼びかけに後刻、「参加しよう」という声があちこちであがりました。
■全員並んでの記念写真。CDの演奏による「山また山」のメロディに耳を傾けながらの撮影。小笠原会長のアイディアに一同55年前の中学生時代の表情を浮かべる。
■6時から懇親会開宴。遠来の前田史朗君の音頭で乾盃。料理よく、酒もよく、テーブルごとのコンパニオンも美形。たちまちに盛り上がって歓談。
■「皆さんご年輩のわりに、よくお飲みになり、よく召し上がりますね…」とコンパニオンもにこにこ。楽しいひとときはあっという間にすぎて、44会恒例の上原元君の「金鵄ヶ台上…」のエールで始まるリードで「山また山」の大合唱。
■名残りを惜しみつつ、再会の言葉を交しつつ散会しました。(北村和久)

富山金鵄会

■第4回富山金鵄会は、平成11年10月17日(日)、JR富山駅前の富山ステーションホテルで開催された。
■出席者は、常連の中谷秀夫氏(中42回)、近藤宗喜氏(高7回)、武田竜司氏(高10回)、寺嶋信雄氏(高18回)、水上典子さん(高25回)、幹事役の小林好文(高2回)、今回から新しくニューフェイスとして出席された藤本奨氏(長中40回)、内堀美和子さん(高49回)を加えて合計8名であった。
■校歌「山また山」の斉唱の後、昨年故人となられた先輩江川義夫氏(中27回)の御冥福を祈って黙祷を捧げた。その後宴席となり、母校にまつわる話に花が咲いて、終冶なごやかな会であった。
■富山県下には現在同窓生が約30名おり、各地で活躍している。(小林好文高2回)

長中31回の会

■平成11年10月18日 於ホテル信濃路 7人出席。
■毎年開いており、10年ほど前には30人を越えたのだが、昨年は9人、今年7人と年々減り方が急。(出席、山崎達夫、山崎勝美、田口忠幸、藤沢国夫、十代田武平、小林源一郎、塚田正二)
○本年の物故者の冥福を祈る。(故飯島清治君、倉石直太君)(回顧談、よもやま話)
○西長野の旧敷地(清水ヶ丘)は長中が現長野高敷地へ移ってから付属小が入り、今は教育学部が拡張して入っている。南東の隅にアズマ屋など設け、昔を偲ぶ場としているから訪れてみたら如何。
○欠席しているが、身体をかばいながら歩いている同級生らに会った報告。
○遠方にいる諸君の知り得た様子の報告。
○旧師、太田キップ、内川モング、赤松カンタ諸先生など(失礼!本名は忘れている)の思い出。
○校歌は「花よりあくる(雅楽調)」だった。現「山また山」は応援歌。負けて帰校した時は「海行かば」だった等。
○兎に角健康を大切にして、来年も次もこのメンバーは欠けることなく元気で会おう。
○次期幹事2人
留任生来の筆無精がSBCのテレビ画像「神聖なるピアノ」「佐久間象山の肖像画」を観て責任を感じ筆を執った次第。
85・6才の老健児の意気をご想像あれ。 (塚田正二)

母校100周年を祝う久山会の集い (長中46・47同期会)

■母校の創立100周年記念式典を明日に控えた10月29日、我が久山会は、長野駅前「油や」で、祝賀の宴を張った。久山会の名称は、同期生、丸山功君の命名による。我々は入学が一緒でありながら、戦後の学制の混迷で、卒業は46・47回と2期に分かれた。しかし、もとは一体の同期の仲であるから、46と47を合わせて93。これをゴロ合わせと、故郷信州の山々への憧れ、期友の弥栄を願う心を込め、発案されたものである。
■我々同期生の主力は、昭和4年(1929年)生まれであるが、この年は母校の創立30周年に当る。平成11年(1999年)、母校の100周年に我々は古希を迎えた。今では少しも希ではない様に思う。母校との節目の符合に、因縁の深さを覚え、100周年への祝意も、より身近なものとして湧いて来る。
■この久山会の当日午後、北信地方に可成り大きな地震があった。交通機関に影響が生じ、遠来の参加者が欠けずに顔を見せてくれるだろうかと心配したが、スケジュールを20分程度遅らせるだけで、出席予定者42名全員が集合、無事開会する事が出来た。
■司会の片山道之助君は、この地震を、ナマズ(恩師、樋口秀治先生の愛称)の慶祝パフォーマンスだと説明、みんなの笑いを誘い、雰囲気を和ませる。
■会長の大久保哲郎君は、「戦時下の過酷な環境の中で、互いに励まし、慰め合い友情を育みながら中学時代を過ごした同志が、卒業後の半世紀を懸命に生きて来て、今日こうして元気に母校の100周年を祝う為に集まる事が出来、この上もなく喜ばしい。」と挨拶。更にこれからの人生に臨む心境を、次に掲げる詩に託して披露、大いに共感を呼んだ。
■伊達政宗 酔余口号の詩二篇
「50年前少壮のとき 功名いささか自らひそかに期す 老来知らず干支のこと ただ春風に桃李の盃をとる」
「馬上少年過ぎ 世評白髪多し残躯天の赦すところ 楽しまずこれ如何」
■募金委員会の副会長を務めた、塚田俊之君は、募金活動の状況報告の中で、久山会からは126名が募金に応じ、目標額を達成したと謝辞を述べた。
■このあと、残念ながら、先立って鬼籍に入った36名の同期生に、その在りし日を偲びつつ、心から冥福を祈って黙祷を捧げた。
■懇親会は、遥々、台湾から馳せ参じた、往時の留学生、丘B蓮徳君の音頭による乾杯で開宴。この夜は面倒な相談事項もなく、お祝い気分一色で盛り上がり、旧交を温めつつ、喜びの杯を重ね、夜の更けるのも忘れ、慶祝の宴に相応しい一夜を過ごす事が出来た。(丸山広)

長中36回 同級会

■去る平成11年11月11日、我々は駅前メトロポリタンで同級会を開いた。
■出席24名欠席52名、7名返事なし。だが一応83名の生存が確認されており、入学定員の200名の頃だから生存率は低い方ではないと思う―――なんとなれば、昭和6年(1931年)入学で、満州事変、支那事変、大東亜戦争と経験した戦中組だからである。参加者の大方は今年80才を越えたわけだが、みないのち運の良さそうな面構えをしていた。
■僕等の第36回は長男坊主が割に多く、善光寺平周辺に住んでいるのが多いようだ。でもここ数年俄に減少傾向が強まってきた。然しながら、在京本部の連中も意気盛んで、今回も4名が馳せ参じてくれた。
■さて恒例により「山また山」で始まり、ついに旧校歌「海ゆかば」の大合唱にまで発展した。旧海軍の軍歌とはメロディーを異にしているが、歌詞は同じだ。戦後派の反日的進歩主義者は、この現象をなんと評するであろうか。私は戦中派として、祖国日本の現状へのウックツした感情のあらわれであろうと解する。今次の会合に光彩を添えたのは、最友笠原十兵衛君が40年余にわたる市議生活に、有終の美を済したことだ。彼のたゆまざる貢献を讃え、叙勲のよろこびをわかちあうことができたのも忘れ難い。
■最後に、現幹事の鈴木、園原、笠原3名に留任をお願いして、来年の再会を期した。(金沢公男)

長高8期 同期会

■毎年恒例の長高8期会は、昨年12月8日午後6時30分伊勢町満留八総本店で開催された。
■平成11年は母校創立100周年記念事業が行なわれた余韻もあって、意気が上がったせいか、出席者も39名といつもより多くの同期生が参集した。
■先ず、幹事の立野弘君と菅沼光男君から、本年目出度く成功裡に完了した100周年記念事業の経緯と、母校及び同期生の近状等につき詳細な報告がなされ、出席者一同、目的達成の慶びと再会の慶びを拍手で表明した。
■引き続き、幹事から配布された母校の全景写真を見ながら、金鵄健児愛唱歌集の第1番歌「大和心」のCDを聞きながら、一同揃って乾杯をして、全員の記念撮影やグループスナップを撮りあって、和気あいあいのうちに互いの近状を雑談し合って、ゆっくりと楽しい宴会は午後8時30分頃まで続いた。
■8期会の同期生は、例年8月8日と12月8日に長野市で同期会を開いているほかに、同時期に東京方面と関西方面でも開催されているので、その時期には進んで幹事まで開催場所、日時等につき御問合せの程を。(宮尾千弓城)

長高3回卒 同期会

■平成11年6月19日(土)午後3時より、長野高校第3回卒業生の同期会が、ホテル信濃路を会場に開催された。参加者は県外35、県内60、計95名。当番幹事は2組。
■記念撮影後に総会、小林信三郎君の開会の言葉、今村哲君の幹事代表挨拶、八木道男君の経過報告に続いて、昨年の総会以後の物故者(丸山雄二郎・宮川不二雄・三宅幸治の三先生方、丸山弘蟄・田原正秀・宮崎剛・西沢正巳・細野真依の諸君)への黙祷が捧げられた。
■議事では、米倉廣君から昨年来の懸案「卒業50周年記念誌」編集刊行について基金と原稿の募集(l1月締切)、趣意書および振込用紙の発送等の具体的な提案があり、満場の拍手で承認、来年度総会までの完成を決定した。
■来賓としてご臨席をお願いした、湯本宣政先生ご夫妻のご祝辞と乾杯のご発声をいただいていよいよ開宴。一年ぶりの再会を歓談のうちに祝しあい、まさに「君が憂いに吾は泣き、吾が喜びに君は舞ふ」風情が展開された。
■近況報告では、東京の林秀夫・小幡和夫両君から1月の「東京・同期会(本紙第38号既報)」「一二三会」「池の会」「記念誌発刊への取り組み」等が紹介された。名古屋の福沢淳・牧野丘両君からは西校OGとの合同の会の話もあり、皆をうらやましがらせた。大阪の嶋倉宏・北村彰一両君からは京阪神地区の同期生の消息が報告された。
■また、折しも西経160度北緯38度の東太平洋上の帆船「海王丸」で、塚田佐市長の「地球環境親書」を次期オリンピック開催地のソルトレーク市長に手渡すべく帆走中の、倉嶋康君からのファックス電文も読み上げられた。
■特別参加の2期生桜井一郎先輩に登壇願い、なつかしい恩師の言動所作の数々を再現していただき、肩を組んでの旧校歌や応援歌の斉唱、合唱…しばし時の経過も忘れるほどの盛況ぶり。次回当番の3組に杯を預け、福島庫夫君の閉会の言葉で散会したのは8時を過ぎていた。
■翌日の「歴史散歩」は、県立歴史館・森将軍塚古墳・嬢捨長楽寺の見学、戸倉酒造所での利き酒などが鬼頭康之君等の肝煎りで28名。一方、同窓会と同じ信濃ゴルフ倶楽部でのコンペは小林・八木両君の世話で23名が参加。優勝=太田隆君、準優勝=北村弘君。(和田勇)

長高6期会 総会

■6期会の総会は昨年10月30日午後6時より、市営のアゼイリア飯綱で開催された。これは母校創立100周年行事にあわせたもので、直接こちらへ参加した人、県民文化会館の記念式典へ、さらにはホテル国際21のパーティーへも出席したあとの人など様々だった。
■参加者は64名、先生方は当日行事がいろいろとたて込んだため、湯本宣政先生お一人だった。
■翌31日は、京急カントリークラブでのゴルフ組と一茶の里・柏原の歴史散歩組に分かれて錦秋を楽しんだ。
■柏原の名刹明専寺は一茶の菩提寺で、住職の月原秀爾大僧正は同期生。なにかと大変お世話になった。
(宮川源治)

東京6期会 新年会

■東京6期会の12年度新年会は寒波身にしみる1月21日、27名が参加して行われた。
■まず昨年亡くなった3名(全員女性)に黙祷を捧げ、続いて長野から参加の藤井寿人君の乾杯の音頭で、宴会に入った。
■宴途中、佐藤文哉君の仙台高等裁判所長官就任を祝して盃を重ねた。近況報告は冒頭の黙祷のためか、健康に関するものが多かった。(米倉輝)

体操班 定例OB会

■1月2日、午後6時近くなると長野市立町の大竹屋旅館に三々五々OB,OGの諸君の集会が始まる。年に1回の総会兼新年会であり40年近く休みなく続いている。
■開会時間が近づいてくると、顔見知りのOB達が「お久し振りです、今年も宜しくお願いします」と声を掛け合いながら徐々に集まり、開会時間少し過ぎには大部分が揃った。今年は例年に比べてやや少なめであったが、16名の出席を得た。
■例年のように乾杯で宴が始まり、4時間を過ぎる宴会が続き、十分交友を温める事ができた。
■回期の若い順に、一人一人自己紹介を含めた近況報告がスタートするころには口も滑らかになり、お互いに冗談も飛び出し、昔を懐かしく思い出す場面でもありました。
■近況報告の中で昨年大学を卒業した46回の平出さん、47回生の荒井さん、榊原さんが難関を突破して就職したとの報告があり、この就職難の時代に頑張っていることをみんなで喜び合った。
■体操班草創期の顧問であった宮本金作先生が、急遽出席できなくなったのは残念であった。また常連で欠席のほとんどなかった、8回の青木さんとl1回の山田さんの欠席は寂しい思いであった。特に山田さんは昨年御長男を亡くされたということを知り、みな心をいため、心よりご冥福をお祈りしました。
■長時間にわたる宴も「山また山」の合唱のうちに終わり、来年の再会を約束して別れたのでる。
(参加者 高8回立野弘、10回宇都宮武、l1回高畑良樹、渡辺雅文、13回中澤隆一、31回渡辺武文、32回佐治木範行、永野優、大川幸彦、34回土屋純、関沢健二、36回湯本光彦、39回伊藤晴彦、46回平出千夏、47回荒井紫穂、49回新江由理)(中澤隆一高13回)

東京長高会

■平成11年11月12日(金)東京長高会総会が、夕方6時より虎の間パストラルで開催されました。
■約180名という会員が集まり、「山また山」を当番期の赤尾君の指揮、山田君のピアノ伴奏で声高らかに斉唱され、総会が始まりました。伊藤右橘会長の挨拶、同窓会本部の若麻績様、現学校長の本山綱規先生の挨拶を頂き、会計・会務報告が行われました。
■今年は副会長、幹事長、副幹事長(9名)の交代があり、加えて会則の部変更があって、内容の濃い総会でした。新副会長に才口千晴氏、新幹事長に高野真弓氏、新副幹事長9名も決まり、たくさんの拍手とともに総会を終了しました。
■引き続きアトラクションとして、当番期のピアニスト山田彰一君と28回生のヴァイオリニスト片見京子さんによる、すばらしい演奏が行われました。全員の皆さんがじっと耳を傾け、しばし日常の喧騒を忘れ、心のヒダに清流がヒタヒタと流れ込んで来た様な、とてもステキな感動を得られたひとときとなりました。
■その後、楽しい懇親会に移り福引きで盛り上がり、金鵄魂旗を24回生から、次の当番期の25回に伝達されました。「信濃の国」斉唱の後、万歳三唱で締めくくられ、11年度東京長高会が終了しました。
■今回当番期ということで、24回生代表が打ち合わせで何度も集まり、大役を果たす為に忙しい中、知恵を絞ぼり協力し合ってこの日を迎えました。先輩方と交流し、東京長高会を続ける努力をし続ける先輩方に敬服し、同期の間でも改めて仲間意識が生まれ、長野高校の出身であることのすばらしさを強く感じました。
■そして私は司会をさせて頂き、楽しい一日となったのです。
(榎本(赤井)功子 高24回)
■高24回生のホームページ開設
http://www.interq.or.jp/sun/nagano24
メールアドレス nagano24@sun.interq.or.jp
まだ制作中です。24回の方、アクセスして情報、写真等送って下さい。

長高3回 東京同期会新年会 ―卒業50周年を迎え更なる発展を―

■本会は、在京約120名が例年、新年会で顔合わせをすることにしているもので、毎夏長野市で開催される同期会総会には有志が参加しています。
■平成12年1月21日(金)、千代田区霞ヶ関ビル「東海大学校友会館・霞の間」に40名が参加。夕映えの富士、やがてライトアップの国会議事堂、東京タワーを眺めながら旧交を温めました。幸い、この一年は物故者もなく、暗い世相ながら明るいムードで、18時か21時まで盛会裡に開催されました。
■クラス持回り幹事(今回は第3組)の丸山一昭君の賑やかな司会で、伊藤喜一郎君による記念撮影、小生の開会挨拶、小幡和夫君の活動報告、宮崎浩君の会計報告に続き、長野から参加した酒井俊郎、関川喜八郎、宮島博の3君を代表して酒井君が、夏の長野総会の計画を発表、山下郁夫君の「五十年記念誌」発行経過報告のあと、小根山延雄君の音頭で乾杯、いよいよ懇親会となりました。
■飲み放題、喰い放題とはいえ、70歳に近づきつつあるメンバーは、はずむのは話ばかりでしたが、次第に学生気分溢れる雰囲気となりました。この間、関川君の「短歌だより(信毎歌壇愛好会・同君が発行者)」、校歌集記念CDの配布。真木貞治君の発声で校歌斉唱、中村明博君の閉会挨拶、勝又豊高君の三本〆めで散会しまた。
(北山清三)

長中第45期(A) 同期会

■残暑厳しい中でしたが、9月5日湯田中温泉「大野屋」旅館において平成11年度の長中45期会の同期会を開催しました。
■当会は、平成7年度の卒業50周年を記念して開催した同期会以来、今までの日帰りを市外一泊の行程にて毎年開催している。
■18時の開会に先立って全員の記念写真を撮影、当番幹事の野村君の司会にて進行する。今回の出席者は来賓の湯本先生をお迎えして36名で略例年どおりの参加者であった。
■最近亡くなられた恩師綾部友治郎先生、石井工君、宮澤昭夫君のご冥福を祈り黙祷を捧げて、総会に移る。
■総会においては、「年会費の納入状況」について幹事より報告する。年会費は3,000円であるがこれは主に年1回発行の会報の誌代に充当されているが、会報も今年で12号となり、干支を一巡したことになります。
■これは、武井編集委員長はじめ編集委員の努力による所であるが、会員の近況、意見を書く「サーチライト」欄の拡大、充実を図ったところ360名からの投稿がありました。この事は同期会とは別の意味で45期一同のコミニケーションの場となり、交友の絆となっております。次に高川君より「二拍子の青春の頌布について」の提案がある。「戦時下中学生の記録」の副題で昭和52年に刊行された我々45期の記録誌であるが、現在まだ残部があり会計も含めて最終的な処理をしたいとのことで、この事については、相当数の購入があり良好な結果となりました。
■総会後、遥々新潟より参加の渡部君の乾盃によって懇親会に入り延々と談笑は尽きないが、頃合を見て音楽班出身の小林雄君の音頭にて校歌「山また山」応援歌「立てや我等が選手」を声高らかに合唱してなかじめとする。翌朝は、再会を約して朝食後解散する。
(大澤登)

「法曹金鵄会」発足

■裁判官・検察官・弁護士・公証人等、法律家の職業に就いた長中・長高同窓生の集まりを持とうというのがかねての懸案でしたが、母校100周年を機に、去る3月25日、東京・「虎ノ門パストラル」にて発会式が開かれ、「法曹金鵄会」として発足しました。
■同窓会名簿等で確認できたのは、裁判官12名、検察官6名、弁護士55名、公証人3名、司法修習生3名の、計79名、当日は、本山校長・丸山同窓会事務局長を含む32名が出席、盛会でした。
■会長に戸田謙弁護士(中42回)、副会長に川上真足弁護士(高2回)・佐藤文哉仙台高裁長官(高6回)・小林永和公証人(もと札幌地検検事正・高6回)を選出、親睦を目的とし、2年に一度程度の集まりを持つ等の規約を決定しました。
■なお、今回の開催通知が届いていない方は、お手数ですが下記幹事あてご連絡下さい。
才口千晴(高9回・東弁)・高橋むつき(高21回・一弁)・中村隆次(高21回・長野県弁)
(中村隆次 高21回)

社団法人 金鵄会

社団法人金鵄会 設立される

■旧木造校舎の存続と維持管理の要請から、同窓会では法人化研究委員会を設置して、母校創立100周年を目途に、法人化を進めて参りましたところ、平成11年9月6日長野県教育委員会から設立許可を受け、同月9日登記を終えて、ここに社団法人金鵄会が成立したことを報告いたします。
■この法人は同窓会が母体となって、同窓会とは別個に設立されたものであります。そして、平成11年10月29日、旧木造校舎を県から譲受け、同年12月2日所有権保存登記を終えて、ここに旧木造校舎本館は、社団法人金鵄会の所有する「金鵄会館」として、甦りました。
■顧みるに、創立70周年の折には、旧金鵄会館が格技室に併設して建築され(既に取りこわし済)、また80周年の折には、当時飯綱山麓の山小屋及びその周辺の土地を営林署から払下げて、山の家を建設するなどの話題があり、更に90周年の折には、旧木造校舎の保存がクローズアップされ、法人設立の気運が高まりつつもその都度頓挫し、爾来30年に及ぶ法人設立の研究と基金の備蓄が進められてきた経緯もあって、この機会を待ち望んでいた次第であります。
■金鵄ヶ台にこの木造校舎が出来たのは、太平洋戦争の開戦前、当時の満州などにみられた「興亜型」という特色ある建物で、本館は望楼を模した低い塔を載せた正面玄関を中心に、両翼を伸ばしたような屋根に瀟酒なこげ茶色の洋瓦が載り、日華事変下に建てられた時代性をものがたっています。
■この木造校舎は起工したものの、戦時下経済の引締めと物資不足がすすんでいて、本館はともかく、着工があとになった建物(北へ行くにつれて新しく着工した)の材料は質が落され、古材を利用して建てられたといわれています。かくして本館が竣工したのは昭和13年5月20日(長野県高校教育課調べ)のことで、この部分が現存しているわけであります。
■旧木造校舎は残った、これからどう活用するか、を背負って公益法人として発足した社団法人金鵄会は、地域に開かれた活動を模索しながら、同窓会の皆様の英知を集めて、今後有意義に発展し続けますことを心から祈念します。
(法人化研究委員長 理事 山口文男 高4回)

社団法人金鵄会 設立趣意書

■長野高等学校の旧木造校舎本館は、昭和12年6月に起工し、同13年5月竣工したもので、日華事変に建てられた当時の時代性を物語っている貴重な建物であります。
■長野高等学校の新校舎建設に伴い、この木造校舎は取り壊される予定でありましたが、旧木造校舎保存の要望が内外よりわきあがり、ついにこれが保存をみるにいたったのであります。
■ここにわれわれは、この貴重な建物を末永く保存し、地域の教育文化振興の拠点として活用していくことを決意した次第であります。
■ついては、旧木造校舎を旧制中等学校のシンボルとして、維持管理するとともに、広く県内に散逸しつつある本県中等教育史上、かけがえのない貴重な資料を収集、公開し、後世へ受け継ぐことを使命と考えております。
■また、新しい時代を担うべき高校生の資質の向上をはかるとともに、豊かな国際感覚と人間性の酒養に積極的に寄与するための諸事業を開催し、併せて、地域に開かれた生涯学習関連事業を推進してまいりたいと考えております。
■これらの事業を安定的かつ継続的に実行するために、ここに「社団法人金鵄会」を設立するものであります。

役員名簿

会長 小坂健介(高4)
副会長 中村隆次(高21)
常務理事 丸山義範(高6)
理事 内田尊明(高4) 塩入隆(高4) 湯川充代子(高7) 倉石美子(高12)
小林邦一(高20) 関邦則(高21) 山口亨(高33)
監事長 谷部好(高1) 若林修(高2)

市民大学講座開催

■「社団法人金鵄会」は初の「市民大学講座」を開講し、生涯学習のための施設として、長野高等学校の旧木造校舎を地域に開放しました。
■本年度は、このところ様々な発見が相次ぎ脚光を浴びている古代史の「いま明かされる古代」(6回シリーズ)を開講。
■聴講いただいた方には終了証書を発行しました。

第1回 12月18日(土) 午後2時30分
 奈良国立文化財研究所 平城宮跡発掘調査部史料調査室長
 舘野和己先生「古代都城と信濃国」

第2回 1月8日(土) 午後2時00分
 東京大学史料編纂所所長教授
 石上英先生「正倉院文書の世界」

第3回 1月15日(土) 午後2時30分
 京都大学大学院文学研究科教授
 金田章裕先生「古代日本と地図」

第4回 1月22日(土) 午後2時00分
 明治大学文学部教授
 吉村武彦先生「古墳時代のヤマト王権」

第5回 2月5日(土) 午後2時00分
 東京大学史料編纂所助教授
 山口英男先生「駒牽と信濃」

第6回 3月4日(土) 午後2時00分
 東京大学史料編纂所教授
 加藤友康先生「平安時代の地方官衙と受領の活動」

訃報

村井先生の思い出

■高校2、3年の担任であった村井先生が、平成11年5月12日逝去された。享年90歳。直前のゴールデンウィークには2年半前に亡くなられた奥様のご実家を訪ねて伊那まで旅をされたとのこと、まさに大往生であった。
■村井先生は、Y校と言われる横浜商業を家庭の事情で4年の時に中退し、以後は独学で検定により英語教員の資格をとられた、大変な努力の人であった。横浜商業時代に、実用的な英語の基礎を、みっちりと学ばれたようだ。
■戦後、進駐軍が長野に配属されたとき、通訳として長野に赴任され、教育担当官ケリーの専属通訳となった。進駐軍が引き上げるおり、当時の水上長野北高校長の勧めで、英語教諭に就任された。当時の長野高校には、戦前は映画の助監督をしていたとの伝説の持ち主酒井真人先生をはじめ、実に個性豊かな先生が大勢いた。
■村井先生は基本的な短文の暗調を奨めるなど、実学を尊ばれた。今ではごく当たり前の学習方法ではあるが、当時の私たちは、大学受験目的の文法重視の英語に目が行き、反発を感じていた。今思うと、あの時、先生の奨めるような勉強をしていたなら、私自身の人生も違ったものになったのではないか、そんな気さえする。
■卒業から30数年経った、上山田での同級会でのことである。明け方ふと目が覚めると、先生はスタンドの光で分厚い英語の本を読んでおられた。
「いや、年寄りは朝が早くてね」
「先生、何を読んでいらっしゃるのですか?」
「ワイルド・スワン、現代版大地だよ」
■その時点で、私はワイルド・スワンがなにか知らなかった。ところが、それから数週間後翻訳されたワイルド・スワンが書店に並び、ベストセラーになっていた。現在イギリスに住んでいる中国人女性“張戒"の祖母と母、そして文化大革命の下での自分とその家族を綴った中国の近現代史であった。上巻・下巻2冊におよぶ大作であり、日本語訳されたものを読んでも難解な代物であった。
■何か用があり先生に手紙を差し上げると、すぐに返事をいただいた。封書の中には、用件のほかに、折々の雑誌や新聞記事のコピーに先生が所感を書き込まれたもの、時には、ご自身で翻訳された英語版の日本の民話などの印刷物が同封されて届くのが常であった。
■お亡くなりになる1月前にも、分厚い封書をいただいた。肺炎で入院されていたおりに、お見舞いに伺ったことへの礼状であった。その時に撮っていただいた写真、やはり、その数日前にお見舞いに見えた塚田市長とご家族と一緒に撮った写真と共に、先生がカレント誌に投稿した英文の「神聖なるピアノ」の記事などのコピーが同封されていた。
■今日の新聞のトップ記事は「新ガイドライン関連法」が参議院で可決され、成立したであった。戦後間もない時期に、平和憲法を大切な理想として民主主義教育を受け、父親を戦争で亡くしている私は、同法になんとなく違和感を覚える。ケリー旋風ともいわれた戦後の教育改革の一翼を担われた村井先生は、どのように感じておられただろうか。もう、お聴きすることはできない。
■私には、村井先生の死が、ひとつの時代の終りを告げているようにも思える。(水上則男高11回)

その他

有珠山の“岡ちゃん”は高14回生

■3月から以前と続く北海道有珠山の噴火で、北海道大有珠火山観測所長として、活躍する岡田弘教授は、昭和37年卒業の高校14回生。北大理学部、大学院で地震学を学んで理学博士となる。
■その個性的な風貌と防災に役立たない研究は意義がないの信条のもとでの活動は、地元では“岡ちゃん”と呼ばれ、親しみと信頼を得ている。

国連大使に小林秀明(高16)さん

■本年2月、高校16回卒業の小林秀明さんが、国連政府代表大使に就任した。昭和39年3月母校卒業後、東京大学法学部を経て“国際的仕事をしてみたくて”外務省入り。
■“多くの国に受け入れられる安保理改革案を日本から提示したい”など意欲も充分。
■国連を軸に平和外交をめざす日本にとって、小林さんの活躍が期待される。

長高新聞増補版発行

■新聞部では昨年、長高新聞増補版(第427号から526号までの10年分を収録)を発行しました。領布価格は2,500円。
■購入希望の方は、はがき等に住所、電話番号、氏名、何回卒、希望部数を明記の上、下記へ送付してください。
■増補版では、この10年間で長野高校に関わった全ての人の関連記事が掲載されており、運動系、文化系を問わず、班活動の結果も網羅しています。また、校内の時事的な問題も同時に取り扱い、生徒の視点での歴史を綴っています。
■多くのご注文をお待ちしています。
〒380-8515長野市上松
1-16-12長野高等学校新聞部縮刷版係

『長野高校百年史』について

■正訂 通史
P.469上段14行 変更される者→変更させるもの
P.494 「ホテル・アウシュヴィッツ」→「ホテル・アウシュヴィッツ」

■訂正 アルバム
P.75 予科練の先輩→右から木村(海軍機関学校)、小市(青山師範)、左治木(静岡高校)、斎藤(海軍機関学校)
P.78上・右下
P-79中・下 市立中学校行事に訂正
P.170 白馬登山期日8月29-30日 を 28-29に訂正

■卒業生の感想の一部
文字だけの100年史よりはるかにインパクトがあります。(関根岩雄 中45B)
勇気の出るそして懐かし母校100年史を手にして、感謝の気持ちでいっぱいです。(丸山和海 高5)
「100年史書評」・・随所に新しい方法、記述があって教えられました。若い同窓生のセンスになるほどと感じ入った次第です。(青木孝寿中 45A)(後略)

モンゴル旅行参加者募集

■長野高校OB及びそのご家族・友人だけのツアーを企画しました。同期・同級のお仲間でご一緒にいかがでしようか。
■今回は、モンゴルの大草原の眞只中で、満点の星空の下、ゲル(天幕)に泊り、露天風呂の温泉につかり、大自然の懐で眠るというロマンのツアーをご用意しました。
■日程、経費の概略は下記の通りです。大勢の皆様のご参加をお待ち申し上げます。詳しくは、アルピコ観光サービスの唐木(高10回)迄ご照会下さい。

1日目8月28日(月)成田より空路ソウルヘ、ソウル泊
2日目8月29日(火)ソウルより空路ウランバートルヘ、ウランバートル泊
3日目〜7日目モンゴル平原満喫、ホグノハーン、ツェンケルジグール、カラコルム等で宿泊予定
8日目9月3日(月)ウランバートル市内、テレルジン国立公園観光ウランバートル泊
9日目9月4日(火)ウランバートルよりソウル経由成田へ帰国

◎旅行代金23万円、成田往復エコノミークラス使用、全食事付き、上記に含まれないもの国内交通費、査証代、空港出国税、飲み物代、
◎添乗員日本より同行、モンゴル滞在中は日本語ガイドがつきます、
◎募集人員24名最小催行人数16名
◎申込み締切7月21日(金)
◎旅行企画長野高校同窓会
◎旅行主催アルピコ観光サービス株式会社照会先主催会社唐木電話026-221-2100

同窓会ゴルフ参加者募集

■昨年に初めて開催された、同窓会主催の創立100周年のゴルフ・コンペの評判が良く、今後毎年開いて欲しいとの要望が多勢の方々から寄せられました。
■同窓会ではご要望にこたえ、下記の通り春、秋の2回、開催することといたしました。多勢の同窓生の参加をお待ちしております。
前期大会 平成12年7月23日(日)
後期大会 10月15日(日)
場所 信濃ゴルフ倶楽部
参加費用 19,000円(プレー代、昼食代、参加費、パーティー費用)
競技方法 新ペリヤ方式
〆切り 前期7月14日 後期9月30日 
申し込みは事務局へ
詳細は、申し込まれた方々に、直接ご案内します。

記念グッズご利用ください

■創立100周年記念事業に販売したグッズがあります。個人で、同期会で、さらにはクラブや各地区のOB金鵄会などにご利用下さい。

1 歌集 800円
2 Tシャツ(M.L2L) 1,000円
3 トレーナー(ML2L) 4,000円
4 てぬぐい 500円
額入てぬぐい 9,500円
5 帽子 1,O00円
6 記念ライター 各 100円
7 ジッポのライター 8,000円
8 紙袋 大 500円
小 300円
9 ピンバッチ 600円
800円
10 ピンバッチセット 3,500円(売り切れ)
11 校歌の額 2,000円
12 置時計 5,000円
13 CD山また山 2,100円
14 航空写真 400円
300円
15 うちわ 200円
16 メガホン 400円
17 イベントポスター 1,000円
18 同窓会名簿 4,500円

このほか「長野高校百年史」6,000円があります。同窓会事務局へお申し込み下さい。

平成12年度の同窓会費2,000円のご送金をお願いします。

■昨年度は、多数の会員の方からご協力を頂きました。心より厚く御礼申し上げます。本会の発展と、より充実した事業活動ができますよう、会員各位のご理解とご協力をお願い申し上げます。

同窓会費は銀行口座で

■同窓会費を口座振替で納入していただける方は同封致しました用紙にご記入の上、同封の封筒にてお送り下さい。なお、既にお申し込みか否か、ご不明の方は事務局で確認致します。
本年度は、中学41回(昭和16年3月卒業)までの会員の方々が会費免除になります。しかし、発送事務処理上余儀なく用紙を同封いたしました。ご了承願います。
■口座振替の方は6月27日(火)に引き落としとなりますのでご承知おきください。

事務局便り

○「日新鐘」39号をお届けします。創立100周年記念事業などにより、大幅に遅れましたことをお詫びします。なお今回から文字と判を大きくして見やすくしました。
○昨年の創立100周年記念行事の実施につきまして、大勢の同窓生の御協力を戴きました。ありがとうございました。
○結婚相談室は、金鵄会館の二階に移りました。
○金鵄会館に同窓生談話室を設けました。是非お遊びに寄って下さい。(囲碁、将棋等の用意もあります)
○お送り頂きました原稿・写真につきまして、紙面などの都合により、縮小・カットすることがあります。お許し下さい。
○萩原秋夫氏(高2回)、豊野町町長に再選されました。おめでとうございます。
○金鵄会では旧制中学校時代の資料を集めております。何でも良いので、お手元にありましたら、事務局までご連絡下さい。
○記念事業 白馬登山記を御希望の方に一部2,000円でおゆずりします。
○小池昭彦氏(高44回)がシドニーの五輪大会、陸上50キロ競歩の代表に選ばれました。本校創立100年の歴史の中で陸上では初めての快挙です。おめでとうございます。